連載(寄稿)(その81)
協同組合運動とは何か アジア・オセアニアの協同組合運動の歴史〇54
- 2016/2/27
- 学習・資料, 関生型労働運動
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連載第81回
■産業政策闘争と協同組合(18)
関西地区生コン支部に対する2005年以降の国策捜査・権力弾圧も、前回1982年時と同様に、産業政策運動の停滞を招いた。国策捜査の目的である関生支部の縮小・崩壊には至らなかったが、大阪の生コン業界の大同団結が遠のき、生コンの安値競争が進行した。しかし、労組の戦線が整ってくると、あらためて、業界再建の大きな潮流が形成された。2010年、「生コン関連業界危機突破!6・27総決起集会」が、大阪市内のホテルに集まった経営21団体966名と労働9団体1,206名で開催された。集会後、労使の隊列はデモに繰り出した。決起集会は、「需要減・価格下落による各社倒産の危機に直面し、『座して死を待つのか、立って闘うか』しかない状況下での集会」と位置付けられた。
大阪広域生コンクリート協同組合(広域協組)の生コン価格の適正化が焦点となった。しかし、事業者の足並みの乱れから、7月2日以降「生コン産業政策協議会」(関生支部・生コン産労・全港湾大阪支部・近畿圧送労組)によるストライキ戦術が発動された。このストは、結局、139日にも及んだ。業種の異なる300社以上の中小企業を網羅するストとなった。生コンの原料であるセメント輸送が滞り、建設素材の生コンが建設現場に供給されず、建設現場で生コンを打ち込むポンプ圧送車が現場に来ないという事態が発生した。ストの実施地域は、セメント輸送が近畿一円、生コン関連が大阪府下と兵庫県の一部となった。特に、大阪府下の多くの建設現場で工事が止まった。
ゼネラル・ストライキとは、団体行動権の一形態であるストが、一企業一地方などに限定されず、全国的な規模で展開されるストのことを指す。また、ある特定の地域や都市において、様々な産業・業種が一斉にストを展開することもゼネストという。
今回のストをどう呼ぶにせよ、戦後一時期に活況を呈し、ある時期からストなど職場で攻防を張らなくなった日本の労働運動が、久方ぶりに長期に構えたストであった。しかも、スーパーゼネコン(竹中工務店・大林組・大成建設・清水建設・鹿島建設)など建設独占が支配する建設産業の現場で、大都市大阪の建設工事が全面的に麻痺する事態を発生せしめたのである。
今回の攻防では、労組や事業者からの的確な情報発信と多くの支援のネットワークによって、インターネットやテレビ、新聞などが敵対的でなく、また、権力弾圧やゼネコンの強行突破を許さない監視網ができていた。
ストは戦術形態であり、目的を達成するための手段である。ストは、目的を達成できなければ、立ち上がることのできないほどの体力を消耗することがある。
しかし、139日にわたる長期スト(日本の労働運動史上、建設現場を、しかも1ゼネコンや1現場ではなく、大阪府下全域を完全に止めたことや、これほどの長期にわたる攻防)はかってなかった。このこと自体で、即ち、この行動を継続できた組織力や思想・理論の堅固さ、指導部や組合員の質の高さは評価されるべきだろう。また、バラセメント輸送、生コン製造・輸送、生コン圧送工事の、生コンの原料から製造、輸送、建設現場での生コン打設という一連の工程を組織することで、横断的闘争力の強さを明らかにした。しかも、独占資本・行政・マスコミに対する大衆的包囲網を形成できたことが弾圧を抑制した。
この闘いを通して、ゼネコン、販売店は生コン価格の適正化を容認した。しかし、残念ながら、この生コン価格の値戻しは継続できなかった。この大阪での攻防に対し、セメントメーカー(特にビッグスリーの東京本社)が、中小企業と労働組合の団結、ゼネコン・公安警察の圧力などに危機感を募らせ、広域協組に強く介入し、人事体制や事業スタンスを大きく変えた。適正化された生コン価格を自ら引き下げた。また、労働組合と距離を置き、セメントメーカー直系工場を先頭に、集団的労使関係からの集団脱退を強行した。また、いくつかの生コン関連労組を取り込み、労組間の分断も強めた。
生コン価格を値上げすることは、生コンの原材料であるセメント価格の上昇につながる。しかし、139日のストを打ち抜く強大な労組+協組の団結による値上げは、セメントメーカーにとって容認しがたいということが示された。
結果、2011年・12年・13年・14年と大阪の生コン価格は下落し続けていくことになる。大消費地・大阪での過当競争は、他府県の業界秩序をむしばんでいった。(つづく)