「和解」でどうなる沖縄の今後/新崎盛暉(沖縄大学名誉教授)

「構造的沖縄差別」を可視化すれば、
 沖縄とヤマトの民衆連帯の可能性がある(新崎さん)


新崎盛暉

新崎盛暉さん

 オール沖縄の不屈の闘いが、安倍政権を追い詰め、和解案を受け容れさせた。しかし国は「辺野古が唯一の解決策」としてまったく新基地断念の気配を見せていない。4月17日、東京の全水道会館において、「沖縄戦の史実歪曲を許さず沖縄の真実を広める首都圏の会(沖縄戦首都圏の会)」と「沖縄平和ネットワーク首都圏の会」の共催で、今後この問題についての集会が催された。工事中断を新基地断念へ、どう活かし、闘うか。以下、沖縄近現代史の視点に立って話された新崎盛暉さんの講演を、編集部の責任でまとめたものを紹介する。(コモンズ編集部)

■「構造的沖縄差別」の可視化にこそ

 岩波新書から『日本にとって沖縄とはなにか』を出版したが、ヤマトと沖縄との歴史的溝の深さは、政治的仕組みとして、戦後の米軍の占領政策として形成されてきた日米安保同盟の基本的枠組みの中にある。それは日本政府に引き継がれてきた「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることで日米同盟関係を安定させる仕組み」であり、それが「構造的沖縄差別」だと考えている。
 それに踏まえて戦後史を観ると、ヤマトと沖縄の民衆相互の連帯がうまくいっていないことと、「構造的沖縄差別」の問題は結びついているのではないか。逆に言えば「構造的沖縄差別」を可視化すれば連帯の可能性も浮かび上がってくるだろう。今まさにその時期に来ているのではないか、と考える。

■戦後史の中での民衆運動の3つの大きな流れ

4・17集会の様子

4・17集会の様子

 戦後の歴史の中で大きな3つの民衆の運動の流れがあった。
 第一は1950年代中ごろの島ぐるみ土地闘争。ヤマトでは砂川闘争がそれに近い。島ぐるみ闘争は、軍用地使用料の大幅値上げ、あるいは米軍支配のもとで利益を得る層が「保守」としての自覚化を始めることで「保守・革新」に分裂し、闘争は終息していった。
 ヤマトでは沖縄への共感があったにも関わらず、砂川と沖縄との違いはどこにあるかを人々は自覚できなかった。ヤマトでは憲法の下で作られた土地収用法などを利用しながら闘うことができた。しかし沖縄では米軍の「布令」という命令がもろに民衆に襲いかかるものであった。こうした区別ができなかった。

 第二の重要な運動の流れは70年代の安保闘争であった。日本政府は「沖縄返還」を利用しながら安保体制を強化しようとし、これを打ち壊そうとしたのは「革新勢力」「左翼」であったが、この時の闘争の中心は街頭にあり、議会闘争は軽視される傾向があった。そしてそれは、佐藤首相訪米のあと、日本で選挙が行われると自民党の圧勝という結果をもたらした。

 第三の流れは1995年の沖縄民衆の決起から始まる20年間である。普天間返還問題はここから続いてきている。95年の10万人規模の沖縄県民決起のきっかけは米軍の少女暴行事件という「人権問題」だった。東西冷戦が終わりを告げたという国際情勢の変化の中で、「少女の人権も守れない安保が何を守れるのか」という安保への批判などから、日米地位協定や基地の過重負担、「構造的沖縄差別」が意識されていった。また沖縄は返還されたにもかかわらず、むしろ米軍基地が沖縄に集中することによって「安保」は本土からは見えにくいものとなっていった。

 沖縄ではそれまで10万人規模の闘いは無く、これは日米政府に非常に大きな衝撃を与えた。また人権問題は「保守・革新」にかかわらず共通の問題であり、米軍基地の面積を約20%縮小するという案が出てきた。普天間返還はその中の目玉として位置付けられた。ところが「普天間を返すから代わりをよこせ」という新たな問題が浮上した。高江ヘリパッド建設計画もこの時に始まった。

■沖縄保守主流も自民党政府の基地政策を批判
 
 1999年、当時の県知事や名護市長と国のあいだで妥協が成立した。この時の妥協内容は「15年使用期限付き軍民共用空港を沿岸から2キロ沖合に作る」というもので日本政府は閣議決定もした。しかし15年使用で米軍が納得するわけがなく、2005年10月、日本政府は「15年使用期限付き」という99年の沖縄との約束も閣議決定も葬り去って、沖縄の頭越しに「米軍再編構想」と称して「日米同盟―未来のための再編と変革」という共同声明を出した。99年の妥協に関わっていた当時の岸本名護市長、稲嶺恵一知事、翁長雄志自民党県連幹事長らはこれに憤慨し、政府を見放した。翁長幹事長は、この頃、硫黄島の自衛隊基地を視察し小笠原への基地移転を目指したが受け容れられなかった。
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 2007年、戦時中の沖縄における集団自決に関する軍の関与を巡る「教科書検定」問題が起こる。当時自民党沖縄県連の顧問でもあった仲里利信沖縄県議会議長(現衆議院議員)は県議会で自分の戦時中の実体験を話し、検定撤回を求める県議会決議を勝ち取った。検定撤回県民集会も開催され11万人が参加した。

 2009年、鳩山民主党政権が誕生する。そして「基地は最低でも沖縄県外に移転」という公約を掲げるが翌2010年、公約を果たせず退陣。同年、沖縄県知事選挙が行われ、この時、翁長雄志那覇市長は仲井真候補の選対本部長を引き受けるに当たって「県外移設を仲井真が明確にすること」を条件にした。この時点から、沖縄は基地問題について、保革に差がなくなってきた。沖縄の「基地反対」の民意にさらに追い打ちをかけたのがオスプレイ問題だった。オスプレイへの反対運動がオール沖縄的に起こり、その共同代表の先頭に翁長代表の姿があった。
 こういう形で歴史的転換が起こり、2014年の県知事選挙、名護市長選挙、衆議院議員選挙などで、自民党が全部落選していった。

■破綻が見えてきた国の強権弾圧と沖縄の抵抗

 「辺野古が無理なら普天間基地を固定化するぞ」という脅迫は野田民主党政権の時から始まっていたが、安倍政権はこれをより強引に打ち出し、2014年7月には工事着工、サンゴ礁破壊が始まった。また「集団的自衛権行使容認」の閣議決定が行われた。
 安倍政権の政策の基本理念は沖縄を「納得させる」のではなく、工事を急いで進め、既成事実を作って諦めさせるというものだった。しかしこれに対して沖縄の民衆は屈服することなく、キャンプ・シュワブゲート前や海上での抵抗闘争を続けた。
結成大会で、沖縄の心を一つにし、建白書の実現を目指そうと気勢をあげる参加者=27日午後3時45分、宜野湾市民会館

島ぐるみ会議発足(2014年)


 翁長知事は当初、話し合いの余地を模索していたが、政府の方が知事を相手にせず、知事就任のあいさつすら受け付けなかった。知事に対する民衆の中からの突き上げもあり、翁長知事はサンゴ礁破壊の可能性に対する調査の申し入れ、それが受け容れられず、工事の差し止めを宣言した。しかし政府の側は防衛施設局に農林水産大臣への「行政不服審査」を請求させることになった。

 この時点に至って、従来とは違った世論が起こってきた。例えば、「辺野古新基地反対」という、沖縄問題をテーマにした国会包囲が行われたのは初めての事だった。またノーム・チョムスキー氏など世界的に著名な識者による海外からの抗議声明が出されたのも初めてだった。
 行政不服審査請求というのは、そもそも国民が行政に対して異議を申し立てる法律であるのに、防衛施設局が「国民」になりすまして農林水産大臣に申し立てるのはおかしい。「日米関係を傷つけるから」というこのような政府の対応に対して、民衆の怒りが決起となって起こり、政府も知事に会わざるを得なくなった。
辺野古を訪問したオリバー・ストーン氏

映画監督のオリバー・ストーン氏も辺野古を激励した


 昨年8月―9月、政府は1ヵ月間工事を停止し沖縄側と協議したが沖縄の民意に応えようとせず、知事は第三者委員会の報告に基づき、正式に前知事の「埋立て承認」を取り消した。1ヶ月後、防衛施設局は今度は国土交通大臣に行政不服審査を求める。この政府のデタラメさに対して90人以上もの行政法学者たちが、防衛施設局が私人になりすましてこのような請求をするのは間違いであるとの声明を発表している。それにも関わらず国交大臣はこの審査請求にしたがって工事を差し止めた。また政府は抗議行動の高まりに対抗して警視庁機動隊を送り込んで弾圧を強化した。またそれに対する批判の高まりに対して、より強力な手段として、地方自治法に基づく「代執行訴訟」を打ち出してきた。

■急転直下!国の敗訴のダメージを避けるための和解勧告受け容れ

政府は「辺野古が唯一」の破綻認め、新基地建設を断念するしかない

政府は「辺野古が唯一」の破綻認め、新基地建設を断念するしかない

 この裁判が本年1月29日の第3回口頭弁論で結審し、4月13日に判決という時になって裁判所から「和解勧告」が出された。法律の専門家によれば民事訴訟などでは互いの中間を求めて和解はあり得るが、「辺野古が唯一の解決策」という主張と「辺野古に作らせない」という主張の間で闘われている行政訴訟に「中間」などあり得ない。

 国の「代執行訴訟」について、これは雑誌『世界』(4月号)での行政法学者の意見を見ても、理論上は知事の勝ちである。裁判所は「三権分立」のタテマエとは裏腹に、現実にはほとんど政府には逆らわない。その裁判所が政府の意向に背いて「知事の勝ち」という判決を出していいものかどうか、困った末の「和解勧告」とみることができる。

 「代執行和解勧告文」には以下のように書かれている―「平成11年地方自治法改正は、国と地方公共団体がそれぞれ独立の行政主体として役割を分担し、対等協力の関係となることが期待されているものである」。つまり裁判所は、「対等協力の関係」ではなく「対立抗争」の局面が国によってつくり出されていると言って和解案を提示したのである。
 一貫して強硬姿勢であった国が突然ひっくり返って和解案に乗ったのは、おそらく敗訴の可能性を考えて、敗訴による政治的ダメージを避けるためであろう。

■新基地建設断念へ、工事中断のこの時期をいかに活用するか。
 その闘いは我々にゆだねられている

県民世論調査(2015年10月20日付沖縄タイムス)

県民世論調査(2015年10月20日付沖縄タイムス)


 和解案が成立し、当分のあいだ工事が止まることとなった。しかし国の強硬姿勢は全く変わっていない。和解成立からわずか3日後に「是正指示」を出したり「国が勝ったら県はそれに従え」と言ったりしている。
 しかし、例え国がこの裁判に勝っても、県側がそれで一切の抵抗をやめることはない。「工事許可の取り消し」が出来なくなるのだとしても、それなら「工事許可の撤回」をあらたに申し立てることができる。他にも、今後出されるであろう工事に関わるさまざまな申請を許可しなければ工事は大幅に遅れてゆくだろう。

講演する新崎盛暉さん

講演する新崎盛暉さん

 何よりも重要なのは、この闘いは「法廷闘争」が主眼ではないということである。今後、半年や1年は工事が止まっているだろう。その間に我々はどんな闘いを作っていくことができるのか。「集団的自衛権行使容認」から「安保法」に至る闘いの過程と、沖縄の辺野古新基地建設反対運動がどう関係しているのかを認識していただきたい。
 辺野古に基地が作られなければ、「安保法」がどうであろうが前に進むことができず、安倍政権の政策はそこですべて破綻する。しかし辺野古に新基地が作られたら沖縄の未来がなくなる。その選択がいま迫られている。それは法廷だけにゆだねられるものではない。
 いま与えられた半年や1年の期間を我々がどう活用してゆくのか。ここが問われている。

※新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授)略歴(沖縄大学)著書(Amazon書店)
※参考文献― 新崎盛暉著『日本にとって沖縄とはなにか』

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