現在に生き続ける植民地主義<連載第1回>/齋藤日出治(大阪労働学校・アソシエ副学長)

「現在に生き続ける植民地主義<br />
―歴史的断絶を通して再生する同一の原理とその危機」【連載1】齋藤日出治 大阪労働学校・アソシエ副学長
連載第1回

連載開始に当たって★コモンズ編集部より
 わたしたち「コモンズ」の社会変革のプログラムの大きな柱の一つに「日本の近代史」を革めるという課題がある。それは次のような認識と立場に立ってのことである。
靖国神社 つまり、明治以来の近代日本国家は、「内」にあっては北方の先住民であるアイヌへの侵略と「アイヌモシリ」(アイヌのくに―大地)の略奪、南方の琉球民族への武力による琉球王国の解体・併合によって、北海道と沖縄を国内植民地として創出し、戦後以降も「沖縄への構造的差別」に見るように沖縄の「国内植民地」扱いの本質は変わってはいない。
 同時に、それは外にあっては、台湾出兵以来、朝鮮・中国など東南アジアへの侵略と植民地支配と軌を一つにしたものである。
 9月から、大阪労働学校・アソシエの主催で、本記事の末尾にて案内したような公開市民講座が開催されることとなり、この機会に今号より「外に向かっての植民地主義」について、齋藤日出治氏のご快諾も得て、その論考を連載する(初出『変化と転換を見つめて』2016年3月風媒社刊)。是非、公開市民講座にも参加いただきたい。(生)

はじめに ― 戦前と戦後の断絶において継承される同一の原理
沖縄戦

沖縄戦

 日本の近代史は、一九四五年の敗戦を境にして根本的に変化したものと理解されている。
 日本は欧米列強の圧力を受けて、二六〇年にわたる幕藩体制に終止符を打ち、開国して以降、文明開化と富国強兵策によって自国の近代化を図ると同時に、近隣アジアへの軍事的・政治的な拡張を企図して、植民地支配と侵略戦争を推進してきた。そのゆきついた先がアジア太平洋戦争であり、日本は沖縄戦、大空襲、広島・長崎の被爆という破局的事態を経て敗戦を迎える。

 日本は敗戦後、平和憲法と民主主義の立憲政治体制を整備し、戦争放棄のもとで経済成長に邁進する。軍事力を頼りに隣国を植民地化し侵略戦争に邁進した軍事国家から経済成長と国民の福祉を理念に掲げる平和国家への転換、敗戦を境とする軍国主義・ファシズムから平和と民主主義を理念とする社会への転換、これが敗戦を機とした近代日本史上の最大の変化とされているものである[注1]

David Harvey(1935ー)

David Harvey(1935ー)

 ここには戦後を戦前からの根本的な断絶の時代とみなす見方がある。だがこの見方は、後述する如く、じつはそれとはまったく正反対の歴史を、つまりひそかに過去を再生産する歴史を創出することを意味する(D・ハーヴェイ[2003]が指摘するように、歴史を過去との根本的な断絶とみなす歴史観は、近代社会に固有な神話である。この神話は断絶したはずの過去を現在に復活させ、過去を正当化する歴史観と背中合わせである)。
 とりわけ、敗戦から半世紀を経過した一九九〇年代以降、戦前との断絶を強調する戦後社会の歴史の見方をくつがえす更なる見方がしだいにせりあがってくる。

 冷戦体制の終わりとともに日本が戦前におこなった戦争犯罪の責任を追及するアジアの被害者(従軍慰安婦、戦時性暴力、強制連行と強制労働の犠牲者)の声の高まりに反発して、その犯罪の事実を否認したり、その事実を承認することを「自虐的」と非難する世論の高揚、「国民の誇りをとりもどそう」という掛け声を駆動力とする新しい歴史教科書の策定、そしてその世論を背景に進展する周辺事態法から集団自衛権の容認・安保法制へと至る新たな戦争国家への動き、これらの一連の動向を通して、戦前から戦後への断絶という認識において押し隠されていた同一の原理が、つまり歴史の連続性が透けて見えるようになる。

 本論で提示するのは、戦前から戦後への日本の断絶的転換を通して再生産されている同一の原理が植民地主義だ、ということである。
琉球処分(首里城を制圧した武装警官)

琉球処分(首里城を制圧した武装警官)

 植民地主義とは、他国の領土を支配し、労働力・資源を収奪する政策にとどまらない。植民地主義は、そのような政策を生みだす社会のありよう、そしてひとびとの経験のありかたに根ざしている。
 みずからの経験の熟成をとおして自己をつくりあげ他者と関係するのではなく、他者から与えられる規範を検証なしに受容し、他者を自己の利益のための手段とみなして関係するような社会のありかたに起因している。

 日本は幕末期に欧米列強から開国を迫られ、欧米の近代モデルを符号のように受容して自己の近代化を進め、そのモデルに準拠してアジアの隣国を植民地統治する道を邁進した。
 そして、敗戦に直面した日本はこのような近代のありようを根底に立ち返って問い直そうとはしなかった。
 戦前の社会秩序を支えていた国体を堅持し、その国体を堅持するために他国による軍事的な支配を受け入れた。それは戦前の植民地主義に立脚する社会形成を異なった様式で再生産することを意味した。
 戦後の経済成長も、他者の規範を受容し、他者を自己のうちに内面化して生きる植民地主義の発展の様式にほかならなかった。

 植民地主義とは、日本の社会が自己の経験にもとづきその経験を踏まえた判断によって社会を築くことを放棄し、他者のモデルに依存して社会を再生産する思考である。
 この同じ原理が、戦前から戦後への質的断絶であるかにみえる激変を貫いて作用している。
 本論は、戦前から戦後への劇的な転換を貫いて作用する植民地主義の原理に焦点を当てて日本の近代社会のありようを内省する試みである。そして、21世紀初頭における社会の危機を植民地主義の原理がもたらす危機として位置づけ、その危機の解決の道筋(脱植民地化)を探ることを課題とする。

1 戦前における日本の侵略犯罪と戦後におけるその否認
 植民地主義という原理から日本近代の転換を捉え返すという問題視座は、筆者が海南島における日本の侵略犯罪の実態を学んだことから触発されたものである。
海南島の位置

海南島の位置

 日本は一九三七年の日中戦争の突入から二年後の一九三九年二月一〇日にアジア南方の海南島を軍事占領した。日本は中国戦線の泥沼化とゆきづまりを打開するためにアジアの南方進出を図り、その足がかりとして海南島を軍事占領する。

 この占領は敗戦の一九四五年八月まで続いたが、この軍事占領下で、日本軍は正規の軍事行動を逸脱したおびただしい犯罪を重ねる。
 村を襲撃して乳幼児、児童、女性、妊婦、高齢者を問わず非戦闘員を無差別に殺害する、女性を強姦して殺害する、台湾・朝鮮・中国大陸から労働者を連行し、軍用空港、港湾建設、鉄道建設などの労働を強いる。
 そして、体の弱った労働者を病気や衰弱や栄養失調で死に至らしめる、あるいは抵抗したり服従を拒む者を銃剣や銃で殺害する、村を焼き払い、家を破壊し、食糧を略奪する、現地の学校を閉鎖し、日本語学校を開設してこどもに日本語の学習を強要する。

 日本軍は海南島の人々の文化と生活を総体的に破壊する残虐な暴力を行使した。
 村を追われた村人は山中を逃げまどい、草や木の実を食べて飢えをしのいだが、病気や飢餓で死亡する村民も続出した。
 村人が逃げたまま戻らずに、村自体が消滅したところもある。
 島の西部にある鉄鉱石の石碌鉱山では、採掘労働に駆りだされた村民が、鉱山でコレラやマラリアなどの感染症が広まると、感染の広がりを恐れた日本軍によって生きたまま焼き殺された。
 島の外から連れてこられた労働者は餓死、病死するとまとめて万人坑に遺棄され、その遺骨が、七〇年が経過した今日でも放置されたままにされている。

 これらの犯罪の実態は、日本軍の公式記録『海南警備府戦時日誌』『海南警備府戦闘詳報』(防衛研究所図書館所蔵)には記載されておらず、日本軍は敗戦後にその証拠の意図的な隠滅を図った[注2]
ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年前は昨日のこと』

ドキュメンタリー映画『日本が占領した海南島で 60年前は昨日のこと』

 これほどの大規模で重大な犯罪がおこなわれたにもかかわらず、日本の戦後社会ではその犯罪の実態を問題にし、調査し、責任の所在を問い、責任者を処罰し、被害者に謝罪し、遺族に補償をするという当然なすべき取り組みがいっさい放棄された。
 島の人々は、敗戦時に「日本軍が突然にいなくなった」、と語っている。
 敗戦によって海南島から引き揚げた日本兵はこの犯罪について一言も発することがなかったし、日本政府はその事実を調査しようとする姿勢をみせることはなかった。

 その逆に、日本の大蔵省がやったことは、敗戦後に海南島に残された日本人の財産目録を作成し、日本の「経済開発」が海南島にいかに貢献したかを記述することであった[注3]
 それどころか、日本政府は一九七二年の中国との国交回復によって戦後補償問題は解決済みという態度をとっている。
 そのため、海南島の侵略犯罪についても、戦時性暴力被害訴訟などの個別の訴訟は法廷でたとえ事実確認がなされても、謝罪や損害賠償の請求は退けられる[注4]

 要するに、戦後の日本社会は、戦前のこのような重大な侵略犯罪の事実を抹殺することのうえに成り立つ社会であることがわかる。
 戦前の植民地犯罪や侵略犯罪を不問にし、まるでなかったかのように済ませ、それを当然のこととして存立する戦後社会、それは犯罪を行使した戦前と同じ原理にもとづく社会であることを語り出す。
 自己の経験を見つめ内省することなく他者の規範に依存する社会は、戦前にみずからが行使した他者の生活と文化の総体的な破壊の行為を戦後に異なった様相において再生産することになる。
 そこに垣間見えてくるのが植民地主義の原理である。(⇒次号に続く)


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注1:山田鋭夫[2008]は、資本主義の多様性の認識にもとづき、グローバル資本主義において、公正を重視する北欧型資本主義や効率性を重視する日本型資本主義を押しのけて柔軟性と即応性が支配するアングロサクソン型資本主義が支配的になったことを指摘する。
注2:トマ・ピケティ[2013]は税務統計データを用いて三〇〇年の資本主義の歴史を振り返りつつ、二一世紀の新自由主義的資本主義が不労所得にもとづくグローバルな世襲資本主義=レント社会になりつつあることに警告を発している。
注3:たとえば重田園江[2011]はつぎのように語る。「戦後の日本は過去の『戦争国家』の反省から、経済成長を最優先し、同時に国民の生活水準向上と福祉の充実を目標としてきた」(ⅳ頁)
注4:筆者が参加している市民団体(海南島近現代史研究会)は、その前史も含めて一七年間にわたり海南島を訪問し、各地の村を回って、被害者の遺族や幸存者の方々から聞き取りをおこなってきた。研究会が海南島で確認した日本軍による住民虐殺は、4000名を超えている。
1939年11月4日旦場村で90名余り、1941年4月12日―14日重興鎮(排田村、白石嶺村、昌文村、腸第村)で241名、同5月13日、19日九曲江郷の波鰲村、上嶺園村、上辺嶺村で129名、同6月24日北岸村、大洋村で499名、同6月28日大溝村38名、同8月4日澄邁県橋頭鎮沙土保●の七村で500名。
1942年3月2日石馬村で172名、同4月20日金牛流抗村で82名、同10月31日昌美村で43名、1943年4月10日鰲頭村で73名、同4月13日九尾吊村で72名、1945年5月2日月塘村で190名、同4月10日坡村、長仙村、三古村、南橋村、雅昌村、佳文村、鳳嶺村、吉嶺村、宮園村で777名、同7月30日秀田村で140名、など。
日本軍がおこなったこれほどの国家犯罪が、戦後70年が経過した今日でも、日本ではなかったことにされ、その事実が否認されている。
詳細な聞き取りの記録としては、紀州鉱山の真実を明らかにする会のブログ、紀州鉱山の真実を明らかにする会制作のドキュメンタリー[2004]、写真集[2007]および海南島近現代史研究会制作のドキュメンタリー[2008b][2008 c]を参照されたい。
さらに、海南島海口市の南海出版公司が海南島近現代史研究会の聞き取りの活動に注目し、2015年8月に研究会の活動の記録をまとめた南海出版公司編『真相-海南島近現代史研究会17年(27次)調査足跡』を漢語で出版している。
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【参考文献】
  • ハーヴェイ D.[2003 ]大城直樹・遠城明雄訳『パリ―モダニティの首都』青土社
  • 海南島近現代史研究会編
    ―[2008a]『海南島近現代史研究会会誌』創刊号
    ―[2011]『海南島近現代史研究会会誌』2号・3号
    ―[2008b]映像ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』
    ―[2008c]映像ドキュメンタリー『朝鮮報国隊』
  • 紀州鉱山の真実を明らかにする会制作
    ―[2004]ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で』
    ―[2007]写真集『日本の海南島侵略と抗日反日闘争』
  • 斉藤日出治
    ―[2004]「日本による海南島侵略―軍事占領から空間の総体的領有へ」『大阪産業大学経済論集』第5巻第3号
    ―[2010]「海南島における住民虐殺と統治政策」『大阪産業大学経済論集』第12巻第1号

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大阪労働学校 第1回 公開講座
(中国)海南島における日本の国家犯罪

学働館・関生★1939年2月、日本はアジア太平洋地域の中心部に位置する海南島の軍事占領を開始。鉱山資源、水産資源、森林資源の略奪を始め、日本軍は抗日軍の根拠地と判断する海南島各地の民衆を無差別に殺害した。ドキュメンタリーでは、日本軍が植民地朝鮮から朝鮮人獄中者を海南島に連行し、軍用施設建設に酷使し、1千人以上を虐殺し遺棄した犯罪や、日本軍が島の村々を襲撃し多くの村民を無差別に殺害した犯罪について、多くの証言を伝えます。(詳細ページ)

■多くの労働者、教育関係の仲間へお呼びかけください。入場無料・各回13時開始

第1回 9月10日(土) 海南島で日本は何をしたのか(報告記事)
   ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で60年前は昨日のこと』上映、討論
第2回 10月1日(土) 海南島月塘村における日本軍の住民虐殺   
   ドキュメンタリー『海南島月塘村虐殺』上映、討論
第3回 10月8日(土) 日本国家の海南島侵略史の世界的意味
   報告者:佐藤正人(海南島近現代史研究会)  
 
主催 大阪労働学校・アソシエ 06-6583-5555
 大阪市西区川口2-4-2 学働館・関生4階 

(「コモンズ」99号の目次にもどる)

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