現在に生き続ける植民地主義<連載第4回> 「戦後」という名の植民地主義

「現在に生き続ける植民地主義<br />
―歴史的断絶を通して再生する同一の原理とその危機」【連載4】齋藤日出治 大阪労働学校・アソシエ副学長
連載第4回 (⇒前回を読む)

1933年に日本で制作された中国と東アジアの地図。満洲が中国から色分けされ、朝鮮は日本の領土とされている。

(前項「三.日本における植民地主義の統治術―生かす権力と殺す権力」の続き) 日本がアジアの植民地統治において発動した権力は、フーコーが指摘する生かす権力と殺す権力の双方であり、この二つの権力が車の両輪のようにして発揮された。つまり、日本はアジアの植民地に対して内政国家の二つの統治技術を発動したのである。

 日本は植民地に各種の調査機関を設け、統計学、地理学、地政学、人類学、地質学などあらゆる知を動員した調査研究を実施し、都市計画にもとづく都市建設、道路・鉄道・港湾などのインフラの建設、各種の産業開発を通して植民地におけるひとびとの生命活動を効率よく調整し動員し、そこから日本国家にとって有用な富を引き出すことを植民地政策の課題とした。
 植民地の地図の作成(植民地支配以前からひそかに測量技師を送り込んで行う潜入盗測もふくむ)、土地の測量、人口統計調査、識字調査、生計調査、医療と衛生の調査、工場労働の調査、人骨の分析、体力の測定、都市計画の整備、といった内務行政のような統治政策が植民地統治下で積極的に推進された。

戦前の植民都市ハルピン

大連、新京、ハルピン、北京、京城、釜山、台北、高雄など中国、朝鮮、台湾で植民地都市の建設が推進され、都市が「市街化区域」と「市街化調整区域」とに区分され、周囲には緑地地帯を設け、公園緑地と水利施設を設ける都市計画が整備された[11]

 要するに、フーコーが「内政」として位置づけた生権力の行使が、日本の場合、アジアの植民地地域において発動されたのである。その内政の統治を正当化するために、日本語教育、日本文化の普及、神社の建設など、現地社会の文化破壊行為が強力に推進された。

 この生権力の行使と同時に、それを上回る規模で発揮されたのが殺す権力である。日本の植民地統治に抵抗し、統治政策の推進にとって障害となるひとびとに対して、武装勢力だけでなく非武装の民間人もふくめて武力を行使し抹殺する政策が行使された。殺す権力の行使は、正規軍との戦闘行為に加えて、非戦闘員の日常生活に対しても発動された。しかも、非戦闘員の生命も含めた日常生活の破壊が、正規軍の戦闘目標として掲げられた。殺す権力が抗日の根拠地であった農村の生活そのものに向けて行使されたのである。日中戦争で展開されたいわゆる治安戦は、この殺す権力の全面的な発動であった[12]

後藤新平
台湾総督府民政長官、満鉄初代総裁


 植民地の統治において発動された生かす権力と殺す権力という二重の権力の論理の原型を提示したものとして、後藤新平[1944「日本植民政策一斑」]の植民政策論を挙げることができる。
 後藤は植民地の為政者がもつべき信条をつぎのように提示する。
 為政者は統治の対象となる新領土の風俗、習慣、人情などについて事細かに調査し、それを科学的に分析して、統治する主体の反省のために役立てなければならない、と。
 この調査は生命活動を考察する生物学に基本を置き、生物の適者生存の原理にもとづいて、日常生活のさまざまな活動、つまり殖産・興業・衛生・教育・交通などの運営に活用される。たとえば後藤は、台湾総督府への赴任に際して、「台湾統治の大綱」として、土地調査をはじめとする各種の事業を持続的に実施し、衛生上の設備を整備し、警察・司法・殖産・交通の特殊法を定めるよう提唱している。

 しかし、その一方で、「土匪の鎮定」を統治の課題としてとりあげ、「土匪は最も迅速に鎮定する必要あり、生藩討伐は永久的計画を以てすべし」(後藤新平[1944]11頁)と述べ、武力による鎮圧を強調する。後藤は、このような武力による制圧の政策と、科学的知識による調査・研究の政策を兼ね備えた植民政策を「文装的武備論」(同、14頁)と呼んだ。
 「文事的施設を以て他の侵略に備へ、一旦緩急あれば武装的行動を助くるの便を合わせて講」(同、13頁)ずる。

 後藤の方針に従って、台湾では旧慣調査会が組織され、満州では、満鉄調査部をはじめとして、旅順工学堂、南満医学会、中央試験所、東亜経済調査局、地質研究所などがつぎつぎと開設される。一九一四年に執筆された「日本植民政策一班」は、のちに日本がアジアの各地の植民地で一九三〇年代以降に全面展開する生かす権力と殺す権力の原理を明確に提示していると言えよう[13]

4 「戦後」という名の植民地主義

 日本の敗戦は、「自己植民地化」とアジアの植民地支配によって方向づけられた日本の近代化がもたらした帰結であった。したがって、敗戦は戦前の日本の植民地主義的な社会のありかたを根底から問い直す契機とすべきものであった。しかし、多くの日本人はこの敗戦を日米戦争における敗戦として受けとめ、アジアの侵略戦争、および植民地支配を内省する道を閉ざしてしまった。この道を閉ざすことによって、日本は、戦前とは異なった様相において、しかもそれとは気づかずに、植民地主義を再建することになる。

一 敗戦の経験の回避と植民地犯罪の否認
戦艦ミズーリ号上で日本降伏により戦争は終結した

戦艦ミズーリ号上での日本降伏により戦争は終結した


 敗戦は、近代日本の社会を根底において支えていた植民地主義の原理を解体し、自己の経験にもとづく社会を創造するはずの出来事であった。だが敗戦に直面した日本は、植民地主義の原理に対する問いを不問にし、むしろその原理を新たな装いで再構築した。

 ポツダム宣言を受諾し無条件降伏した日本は、武装を解除され、他国の軍隊によって占領され、その統治に服し、主権を剥奪された状態に陥った。だが、この日本の強いられた隷従状態は、日本の近代化が西欧近代の規範に自発的に隷従するコロニアルな思考のもとで推進した近代化がもたらした帰結にほかならない。
 他者のモデル(欧米列強モデル)への自発的隷従は、アジアの他者に向けた植民地主義的な権力(生かす権力と殺す権力)の発動をもたらす。そして、この植民地の既得権益を堅持する(「満蒙は日本の生命線」として)ために侵略戦争をつぎつぎと拡大し、ついには「大東亜戦争」によって欧米と対決する世界大戦に突入して破局を迎えたのである。(次号に続く⇒)

 敗戦に直面した日本は、そのような自発的隷従によって自己を植民地化し、その結果アジアの隣国を植民地支配していった日本の近代のありかたを根底から問い直し、自己の経験を他者に委ねた歴史の反省の上に立って、自己の経験と判断にもとづいた社会をどのように創造するかが問われていた。つまり、日本近代に張り付いていた植民地主義の呪縛からいかに自己を解き放つかが問われていたのである。
 しかし、その道は敗戦の起点から放棄された。その理由は、日本が「国体の護持」を条件に敗戦を受け入れ、天皇の玉音放送によって「終戦」を宣言したことにある。河原宏[2012「日本人の戦争」]は、日本人が天皇の命令によって戦争を終えることによって、「各人が自主的決意と判断によって行動する」(145頁)機会を逸してしまった、と言う[14]

(次号に続く⇒)

ーーー
[注11] 越沢明[1988「満州国の首都計画」][2004「哈爾浜(はるぴん)の都市計画」]は「満洲国」をはじめとする中国東北部の都市建設が当時の日本「本土」の都市よりも精緻な都市計画を練り上げ、その計画にもとづく都市建設が進められた、と評価している。そこには、植民地都市の建設が帝国日本の内政の統治業務とみなされていることの異常性に対する自覚はまったく見られない。
[注12] 治安戦については、笠原十九司[2010「日本軍の治安戦」]を参照されたい。
[注13] 海南島の軍事占領下で行使されたのも、「生かす権力」と「殺す権力」の二重の権力の全面的な発動であった。海南島では、台湾総督府と台北帝国大学を中心とする大規模な学術調査団が組織され、民俗学、人類学、社会学、地質学、気象学、地理学など各分野の研究者を動員して、海南島の自然、地質、地形、土壌、気象、河川、森林、農業、漁業、林業、畜産業、鉱山、生活様式と民族文化などについて綿密な調査活動が行われた。
  その一方で、日本軍は「共産部落ハ之ヲ清掃ス」(海南海軍警備府司令部が一九四二年一〇月一八日付けで出した「Y7作戦ニ関スル参謀長口述書」)という方針の下、島の各地の村を襲撃し、無差別の住民虐殺をくりかえした。海南島における「学術調査研究」については、斉藤日出治[2013「大阪産業大学経済論集vol.14」]を、住民虐殺については[連載第一回注4]の各資料を参照されたい。
  海南島で日本軍が展開した「Y作戦」という軍事作戦は、そのなかに住民の人的能力開発。土地測量、地籍調査、度量衡制度の整備、埋蔵資源の調査、物価統制と物資の配給管理体制、伝染病の予防対策、教育制度の整備、治安維持会の組織化、住民の治安維持対策、電気通信事業の推進、保安林による災害対策など、社会生活や産業活動の統治に関するあらゆる課題が「政策処理事項」として掲げられている。「殺す権力」の展開である軍事作戦の延長線上に「生かす権力」が位置づけられていることがわかる。この統治政策については、斉藤日出治[2010「大阪産業大学経済論集vol.12」]を参照されたい。
[注14] 河原宏[2012]によれば、敗戦末期の「本土決戦」こそ、帝国軍隊の統制から解き放たれて日本人ひとりひとりが自己の決意と判断で行動する機会であったが、そのような機会の出現を「共産主義革命」とみなし、それを恐れた日本の支配層(近衛文麿)が天皇に敗戦の受諾を「上奏」して「本土決戦」は回避された。この河原の解釈は日本の近代を考えるうえできわめて重要な示唆である。

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【参考文献】

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