連載2】競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へ
日米の制度的妥協=天皇+米軍/斎藤日出治

競争と分断の共進化から連帯と協同の共進化へ シリーズ連載(2)
― 関西生コンの社会闘争が切り開いた地平 ―
           大阪労働学校・アソシエ副学長 斉藤日出治
日米の制度的妥協「天皇+米軍」
■参考文献――
●矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル、2015
●加藤洋典『戦後入門』ちくま新書、2015
●武藤一羊『戦後レジームと憲法平和主義』れんが書房新社、2016
●菊池史彦『「幸せ」の戦後史』トランスビュー、2013

二. 戦後日本における経済・政治・社会表象の共進化
  -企業主義的調整・日米妥協・「戦後」という社会表象

前号本章1.からの続き

2.日米間の制度的妥協―天皇制による国体の護持と軍事権の譲渡

 だが、(前号で見たような)戦後日本の経済を支えた労使間妥協、銀行・企業間の妥協、企業間妥協という重層的な制度構造は、敗戦後の日本の権力構造をかたちづくる独自な国家間妥協の制度を基盤にし、その上に存立していた。

サンフランシスコ講話条約調印 敗戦時に、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏した日本の指導層は、みずからの権力崩壊の危機に直面した。国内の左翼勢力が共産主義革命を起こす脅威とソ連の日本進駐による外部からの共産主義革命の脅威がそれである。日本の指導層はこの脅威に対処するために米軍の駐留を積極的に受容する。
 そして、その受容の代価として、皇位継承権を存続させ国体を護持することを占領軍に承認させた。占領軍にとっても、天皇制は日本の統治を進めるうえで必要なものであった。

 そのために、米国の軍事占領は1951年の日本の主権回復後も継続される。1951年の9月8日にサンフランシスコ講和条約が締結され、そのわずか5時間後に日米安保条約が調印される。日本はその後現在にいたるまで米国の軍隊の駐留を容認した。日本の司法権力は、日米安保条約を日本国憲法や国内法よりも上位に位置づけ、米軍基地の治外法権を承認し続けている。

 この米国への軍事的従属は、沖縄に米軍基地の大半を押しつけることによって日本と沖縄との植民地主義的な関係を戦前と同じようにして継続させた。
 日本は米国への軍事的従属と引き替えに、天皇の戦争責任を免責し、天皇を軸とした国内の社会統合をうちたてる。こうして、「天皇+米軍」(矢部宏治[2015])という戦後日本の権力構造が制度化されることになる。

 米国は日本への基地建設によって、戦後アジアの極東戦略をうちたてることができた。それに対して、日本はこの米軍の核の傘の下で軍事的負担を免れ、経済成長に邁進して、国力の回復を図る。さらに、朝鮮戦争、ベトナム戦争といったアジアの軍事的緊張を「特需」景気として利用し、アジア民衆の苦難を踏み台にして自国の経済成長を推進する。

 要するに、日本に固有な労使間妥協、企業間妥協、銀行-企業の妥協は、天皇制と米軍の妥協的取引の制度化に支えられて存立していることがわかる。

 この日米間の制度的妥協を外交方針として示したのが、「吉田ドクトリン」であった。冷戦下で軍事的緊張が高まると、米国は日本の全面的な武装解除の方針を転換して、日本に防衛費の増額と再軍備を求めるようになる。しかし吉田茂首相は日本国憲法の戦争放棄条項を楯にこの要求を拒み、防衛費を削減し、米国の核戦略の傘のもとで、貿易・技術革新を推進し経済成長への道を突き進む [5]

 日本に固有な労使間・企業間の制度的妥協の構造は、日本資本主義の欧米資本主義と対比される独自性をはらむものであるが、その構造が敗戦後の日本の独自な権力構造によって支えられているという認識は、とりわけ経済学のまなざしからは抜け落ちる。

 だが、矢部宏治[2015]が指摘するように、この権力構造は安保村、原子力村のような、政治家、財界、ジャーナリズム、研究者を巻き込んだ利権集団を組織し、戦後日本の経済と政治とイデオロギーの中核をなすようになる。日本の労使間妥協、企業間妥協の制度は、資本主義経済の骨格をなすと同時に、その構造を根底で支える権力構造を覆い隠すイデオロギー的な機能をも果たした。

 この権力構造は、やがて1990年代以降の経済不況のなかで労使間妥協、企業間妥協の制度が動揺しはじめるとともに不安定化していく。

3.市民社会の表象と深層の社会意識

 経済の制度的妥協の構造と国家の権力構造との相互依存によって編成された戦後日本の体制は、市民社会の独自な表象によって媒介されると同時に、その深層の無意識を押し隠す。

冷蔵庫・洗濯機・テレビ=「三種の神器」 戦後日本の市民社会の支配的な表象は、国民主権と戦争放棄を謳った日本国憲法に依拠している。平和・人権・民主主義の理念が教育、メディア、政治に支配的な表象として浸透していく。
 だがその表象と併存するかたちで、国民統合の原理としての天皇制と、米国の軍事的統治の権力構造が日本の社会の深部に深く定着する。
米国は軍事的な権力として定着するだけではない。都市型生活様式と消費文化を通して、ひとびとの生活の深部にアメリカが巣くうようになる。
 同じく、天皇制がメディアや消費財(冷蔵庫・洗濯機・テレビ=「三種の神器」)のイメージを通して家庭の深部に浸透していった。

 「天皇+米軍」の権力構造は、このようにして市民社会における人々の支配的な表象と共進化する。権力構造と経済の制度的妥協の構造が市民社会の表象を生み出すと同時に、後者が前者の構造を強固に支え媒介する。

 だが、この市民社会の支配的な表象の深部には、日本の重層的な制度的構造によって隠された社会的無意識が潜んでいた。それは、日本が「天皇+米軍」の権力構造を確立することによって手つかずのままに放置した戦前日本の帝国の原理であり、植民地主義の原理である。
明仁天皇
 一見すると、戦後市民社会の表象を支える日本国憲法は、この帝国の原理を清算したかにみえる。だが、日本国憲法はそれ自体が国体の護持と米軍への軍事的従属という権力構造のうえに成り立つ制度である。この権力構造は、戦前の帝国の原理をそのまま維持している。ただし、その原理は米軍への従属によって保証されている。

 白井聡[2013]は、この戦後の体制を「永続敗戦」と呼んだ。
 日本は帝国の原理を継承するために米軍に対する軍事的従属を続けることを余儀なくされる。それは敗戦を否認することを意味する。ポツダム宣言を受諾し、極東裁判を受容し、サンフランシスコ条約に調印したにもかかわらず、日本はその深層において敗戦を否認し続ける。そして、敗戦を否認するがゆえに、米国への軍事的従属を持続させる [5]

 だが、敗戦の否認は、米国に対する敗戦の否認である以上に、アジア諸国に対する敗戦の否認であった。それは同時に、アジアに対する侵略戦争と植民地主義の肯定を、さらにこの植民地主義支配と侵略戦争が行使したおびただしい日本の国家犯罪の肯定(アジアの民衆虐殺、性暴力、細菌戦、生体解剖、略奪、村落破壊など)を意味した。
 ただし、この敗戦の否認と国家犯罪の肯定の意識は、戦後日本の経済的な妥協の制度、および日米妥協の権力構造に支えられて、市民社会の表象に浮上することなく、その深部に沈殿した。

 さらに、この制度的構造に照応する歴史的時間意識が築き上げられた。それは、自国の侵略戦争を被害として記憶する歴史記憶の集合的表象である。日本人は、敗戦をみずからにふりかかった災難=被害と受け止め記憶する。疎開、空襲、飢え、被爆、窮乏生活といった被害の記憶によって過去の戦争がたどられ、毎年8月にその記憶がメディアによって集合的に呼び起こされる。

大阪万博(1970) このような集合的記憶の呼び起こしが、戦後の歴史の集合的記憶に引き継がれる。つまり、戦後復興から高度成長、そして「経済大国」へと進んでいく歩みが、敗戦によって壊滅的な打撃を受けた日本がその被害から立ち直り復興を遂げていく過程として記憶される。このような戦後史認識は、経済成長が行き詰まった1990年代以降も、長期不況を「第二の敗戦」として表象することによって継承される。

 日米妥協と労使間及び企業間の妥協の制度的構造に支えられた日本の経済成長は、帝国の原理を平和と経済のイメージで包み込んで覆い隠した。戦前のように、軍事力と侵略戦争と植民地支配によるのではなく、経済取引という平和的手段によって国富を増進させ、国力をつちかったという経済ナショナリズムの表象は、戦前の帝国の原理との断絶を際立たせる。だが、この表象における帝国の原理との断絶は、その正反対のものを、つまり断絶を通して帝国の原理の継承を無意識のうちに保証したのである。

 日本は、国家次元においても、民衆の次元においても、侵略戦争と植民地支配がアジアのひとびとにもたらした国家犯罪の責任を放置した。犯罪の実態を究明することも、罪を犯した当事者および責任者を処罰することも、被害者に謝罪することも、賠償することもしないままに放置した。日本の司法も、この政府の方針に追随し、その方針を事実上追認した。

 だがそれ以上に重要なことは、このような国家犯罪の免責が、日米間の妥協とその上に立脚する経済の妥協的取引によって戦後社会のなかに構造化されていた、ということである。戦後日本の体制がまるごと国家犯罪の肯定と敗戦の否認のうえに立脚し、その否認を日常的に承認し続けてきたのである。

三. 戦後日本の共進化の危機と新自由主義的共進化の出現
  -経済の新自由主義化と国権主義の台頭

 1990年代以降の日本の長期不況は、戦後確立された日本資本主義に固有な制度的妥協の構造の転換を強いる。それはこの制度的妥協の構造によって保証されてきた日本の国家犯罪の肯定の体制をつき崩し、国家犯罪の肯定という現実を市民社会の表象に浮上させることを意味した。

1.企業社会から規制緩和と市場競争社会へ

山一證券破綻(1997) 1980年代以降進展する世界経済の金融化とグローバル化の流れのなかで、日本はバブル経済の崩壊に直面し、1990年代以降、「失われた20年」と言われる深刻な長期不況を強いられるようになる。日本資本主義は、この長期不況を打開するために、戦後日本の資本主義を支えた制度的な労使間妥協を放棄し、企業主義的調整を市場的調整に向けて転換する。

 日本に定着した労使慣行を破棄して、日本企業は1990年代後半に採用の停止・抑制、配置転換、希望退職者の募集、一時帰休、解雇といったさまざまなリストラ策を実施するようになる。正規雇用を削減し、雇用量をフレキシブルに調整できる非正規雇用への切り替えが進む。1997年から2001年にかけて、正規雇用が171万人減る一方で、非正規雇用は206万人増加する(菊池史彦[2013]47頁)。

非正規の若者のイメージ画像 そして、この被害をもっとも強く被ったのは、20-30代の若年労働者層であった。戦後の日本の労使間妥協は、新卒一括採用の方式によって、若者を教育機関から企業へとスムーズに移行させ、若者を企業社会に包摂し、企業社会のなかで働きながら技能を習得する慣行を定着させた。

 だが、その制度的仕組みが崩れることによって、若者は企業だけでなく社会から孤立し、排除されるようになる。労使間妥協の解体は、企業経営者の雇用政策だけでなく、市民社会の社会意識の転換をもたらす。菊池史彦[2013]は、この制度的仕組みの崩壊にともなって、1990年代後半に生じた新しい社会意識の出現をつぎのように表現する。
「従来のような、外部を積極的に包摂し、内部を均質化するように働く<社会意識>に代わって、内部を分割し、選別的に外部に押し出すように働く新しい<社会意識>が浮上してきた」(55頁)。

 もちろん、戦後に定着した日本的経営にも排除の意識は働いていた。日本的経営は、労働者の企業意識を高め、他企業の労働者や非正規および周辺の労働者を差別し排除する性格を色濃く有していた。とはいえ、日本的経営の基本性格は、労働者を企業共同体に包摂しそのなかで平等の競争関係を通して技能形成を図ることにあった。
 しかし、1990年代以降の企業のリストラは、内部に包摂した労働者を外に排除し、内部を階層化して、選別する傾向を強くする。→この項次号に続く

※:[5] 日本はこれらのおびただしい国家犯罪について、その事実に関する調査も、責任者の処罰も、謝罪も、賠償も十全に果たしてこなかった。戦後日本の権力構造と経済的な制度的妥協の構造は、この国家犯罪を否認し続ける制度として機能した。
 筆者が参加している市民団体(海南島近現代史研究会)は、その前史も含めてほぼ20年間にわたり海南島を訪問し各地の村を回って、日本がおこなった村民虐殺の実態について、被害者の遺族や幸存者の方々から聞き取りをおこなってきた。しかし海南島で日本が行ったおびただしい住民虐殺は戦後70年が経過した今日でも、日本ではなかったことにされ、犯罪の事実が否認されている。


■参考文献――
●矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル、2015
●加藤洋典『戦後入門』ちくま新書、2015
●武藤一羊『戦後レジームと憲法平和主義』れんが書房新社、2016
●菊池史彦『「幸せ」の戦後史』トランスビュー、2013

■参考文献紹介―――
矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
集英社インターナショナル ¥1,200+税
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