現在に生き続ける植民地主義<連載第5回> 植民地主義的日米妥協へ

「現在に生き続ける植民地主義<br />
―歴史的断絶を通して再生する同一の原理とその危機」【連載4】齋藤日出治 大阪労働学校・アソシエ副学長
連載第5回 (⇒前回を読む)

文部省教科書「新しい憲法の話」

文部省教科書「あたらしい憲法のはなし」(1947)

【前号「敗戦の経験の回避と植民地犯罪の否認」続き】天皇の命令によって戦争を終えた日本人は、今度は占領軍の命令によって戦後の観念(平和、民主主義、自由)を受け入れる。
 したがって、これらの観念は経験の裏付けを欠いたたんなる符号として、一夜のうちに日本の社会に浸透する。

 森有正[1979 全集第5巻]が指摘するように、「われわれは一人一人じぶんの『経験』から出発して人間になり、『民主的』になり、『自由』になり、『平和』にならなければならない」(三二頁)にもかかわらず、これらの観念を裏付ける経験を欠いたまま、その観念だけが受容されたのである。

 経験と判断の積み重ねがひとを民主的にし、自由にし、平和にする。この経験にもとづく判断にとって欠かせないこと、それは「本当の意味での過去を大切にすること」(二八頁)である。敗戦という隷属状態を強いられるにいたった過去をふりかえり、その過去を検証し、その歴史の根幹にあるもの(植民地主義)を探り出さなければならない。

 しかし日本の社会はこの検証、つまり敗戦の経験を抜きにして一夜のうちに豹変し、学校の教師も、政治家も、研究者も「民主主義」と「平和」と「自由」を謳うようになる。この豹変は、日本が明治維新の近代化を始めたとき、経験による検証を抜きにして西洋文明を符号のように受け入れて近代化を開始した道を、つまり「自己植民地化」の道を、敗戦後に再びたどり直すことを意味した。

 社会とは、ひとりひとりの経験にもとづいて個体が生まれ、その個体の集合的経験のうえに築き上げられるものである。にもかかわらず、そのような経験を欠落させたまま他者の規範を検証なしに受容し、その規範に自己を投影して社会を築く、そのような社会を植民地化された社会と呼ぶとすれば、日本は近代化の出発点と敗戦後に同じ植民地主義の原理にしたがって社会を構築したのである。

東京裁判 このような敗戦の経験の不在は、「敗戦の否認」というかたちで戦後における日本人の集合的無意識となって沈殿する。ポツダム宣言を受諾し、米軍の軍事占領を受け入れ、東京裁判で戦争犯罪の判決を受けながら、この明らかな敗戦の事実を「終戦」と言い換えてあいまいにすると同時に、ひそかに社会の内部で敗戦を否認し続ける。

 敗戦の経験を欠落させることによって「敗戦の否認」という集合的無意識が醸成され、この集合的無意識に支えられて戦後社会に植民地主義がふたたび定着する。
 そしてこの集合的無意識は、戦前のおびただしい侵略犯罪と植民地犯罪を包み隠し、否認する。日本の生かす権力と殺す権力が一体となって作動した植民地主義の権力犯罪がもたらした厖大な加害の実態が、戦後日本で総合的に検証され究明されてこなかった最大の原因がここにある。

 この侵略犯罪・植民地犯罪の否認は、戦後日本の社会形成の根幹に位置していて、それが日本の政治、社会、文化、歴史認識のすべてに作用している。
 つまり、植民地主義とは、たんに戦後日本の社会において戦前の名残として存続しているだけではなく、国体に匹敵する戦後日本の社会秩序の原理をなしているのである[15]。    

二 米国への自発的隷従―植民地主義的日米妥協

安保条約に署名する吉田茂

安保条約に署名する吉田茂

 敗戦の経験を回避することによって経験の自律にもとづく社会形成への道をみずから封じた日本は、新たな「自己植民地化」への道をあゆむことになる。

 日本の支配層は自己の権力をくつがえす恐れをはらんだ内外の「共産主義革命」(国内の左翼勢力、およびソ連軍の日本進駐を意味する)の脅威に対処するため、占領軍の駐留の継続を要望する。そのために、一九五二年のサンフランシスコ平和条約によって日本が主権を回復した後も、外国の軍隊の自国における駐留を容認し、しかも、米軍基地に関しては、日本の主権の及ばない治外法権の空間としたまま占領期と同じような例外状態を続けることになる。

 矢部宏治[2015 『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』]は、日本の最高裁判所が日米安保条約の合憲か違憲かに関する憲法判断を回避する「統治行為論」を唱えていることを指摘し、この統治行為論があるために、日米安保条約のほうが憲法や国内法よりも上位にあるという異常な事態が戦後七〇年を経過した今も続いている、と指摘する。

 日本は、このようにして外国の軍隊に主権を委ねて自発的に隷従する、つまり自己を植民地化する。しかし、この「自己植民地化」は、天皇を免責し国体を維持しようとする日本の支配層の自発的な意志であった。
 そしてこの日本の「自己植民地化」は、米国にとっても戦後の国際秩序形成のヘゲモニーを掌握する上で望ましいものであった。米国は天皇制の皇位継承権を承認することによって国体の護持を保障し、その見返りとして東アジアの極東軍事体制の拠点として日本の国土を利用する権利を得る[16]

 日本は米国に基地を提供し、その見返りとして国体の護持を、そしてその後の経済成長という経済的利益を獲得する。日米両国のあいだでそのような妥協的取引がひそかに進められた。こうして、「『天皇+米軍』が戦後日本の権力構造」(矢部宏治[2015]一二〇頁)として君臨していくことになる[17]

 この日米間の妥協が、日本の植民地主義を戦後社会において再生させる。天皇の命令にしたがって戦争を終息させ、旧支配者が自己の権力を維持するために国体の護持を図り、そのために米国への軍事的服従を自発的におこなう。この軍事的服従は、その服従によって利益を受ける財界、官僚、学会、メディアなどの諸勢力(矢部宏治[2015]はこれらの諸勢力を「安保村」と呼ぶ)によって正当化され、日本の社会意識の中に根を下ろしていく。そしてこの米国への軍事的服従が醸成するコンプレックス(劣位の社会意識)が戦後日本のナショナリズム=国民意識を根底で支えることになる。

 だが、このような被害意識に立脚するナショナリズムこそ、日本の侵略犯罪の事実を包み隠し否認する土壌となる。戦後の日本社会は敗戦を真正面から受け止めて戦前の社会の根源にある植民地主義と向き合うのではなく、その植民地主義を日米妥協によって覆い隠す。その意味で、この妥協は植民地主義的日米妥協と言うことができる。

普天間第二小学校の上空を飛行する米軍機

普天間第二小学校の上空を飛行する米軍機

 そして、この妥協はもうひとつ別の植民地化を日本の中に根づかせる。米軍基地を沖縄に集中させ、基地の負担を沖縄に偏在させることによる沖縄の国内植民地化である。
 米国への日本の軍事的従属状態をできるだけ本土から遠ざけておくために沖縄に軍事基地をおしつける。そのために沖縄は米軍の治外法権の異常事態にともなう犠牲を集中的に強いられ、土地の収奪、騒音、事故、性犯罪や暴力事件などのリスクを日常的にこうむる。 敗戦間際に、日本の支配層は本土決戦の前哨戦として沖縄を使い捨て、沖縄民衆に集団死を強制した。戦後の日本はその沖縄を再び本土の犠牲に供したのである。

沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故(2004年8月)

沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故(2004年8月)

 しかし、本土の日本人はそのことにほとんど無自覚である。野村浩也[2005「無意識の植民地主義」]は日本人のこの「無意識の植民地主義」をつぎのように告発する。
「すべての日本人が、在日米軍基地を沖縄人に過剰に押し付けることによって、基地の平等な負担から逃れるという不当な利益を奪取しつづけてきた」(三一頁)。

 戦後日本は、敗戦の経験を放棄することによって自己を植民地化し、米国に軍事基地を提供し続けることによって自発的に自国を植民地化し、さらに沖縄を国内植民地化する、という多層の植民地化の構造を築き上げた。
 そしてこの日米妥協は、その根底で日本のアジアに対する侵略犯罪と植民地犯罪の事実を隠ぺいし、さらにはその事実を否認する体制として機能した。敗戦後、米国の軍事占領下に服し権利を剥奪された日本は、自己を旧植民地国と同じ被害者であるかのように表象するが、そのような被害者ナショナリズムの定着によって、みずからがアジアの他者に対する権利剥奪をおこなった旧植民地に対する歴史的責任を隠ぺいし忘却し否認し続けたのである[18]

 (次号に続く⇒)     

ーーー
[注15] 朝日新聞(二〇一五年九月七日)によれば、全国八五の歴史資料館、平和博物館で戦地や植民地での日本軍の犯罪行為を展示している施設はわずか三割で、しかもこの展示は縮小傾向にあり、それらの展示が「自虐的」「偏向的」という批判を受けていることが判明している。日本が行使した植民地犯罪を究明し公開する行為を「自虐的」「偏向的」とする社会意識こそ、戦後日本社会の植民地主義的性格をもっとも端的に物語るものと言える。そこでは犯罪の隠ぺいや犯罪の否認が自明のものであり、正当なものとみなされているのである。
[注16] 酒井直樹[2015 『思想』1095号]は、米国がパックス・アメリカーナという戦後の国際秩序を支える東アジアの安全保障体制の軍事的拠点として日本を利用し、日本を米国の「下請け国家」として活用するために、天皇制を温存し、天皇制を、米国への日本の従属化を保障する国民統合の装置として存続させた、と説いている。
[注17] 天皇制と米軍との交渉取引については、矢部宏治[2015]、を参照されたい。一九五一年九月八日サンフランシスコ平和条約が調印され、その五時間後に日米安保条約が調印されている。この二つの条約は相互補完の関係にあることがわかる。
[注18] 高栄蘭[2010『「戦後」というイデオロギー』]は、日本の占領下で、占領軍に性的サービスを提供した「パンパン」と呼ばれる女性と米軍との関係を日本と米国の関係に置き換えて表象し、日本が戦前の植民地の加害者から被害者に転換したというイメージが作り上げられた、と指摘すると同時に、この「パンパン」と呼ばれる女性の多くが旧植民地、あるいは被差別部落の女性だったことをとりあげ、この関係の表象が日本の戦前のアジアの植民地支配の責任を忘却させ、日本を被害者に見立てる表象が作り上げられた、と分析する。この表象の構図では、「アメリカと日本との関係が前景化される『戦後』と命名された言説空間において、アジアとのかかわりをもった『日本帝国』の記憶は忘却され」(三七〇頁)てしまう、と。
 敗戦後の日米関係を表象するこのような記号学的構図によって、日本のアジアに対する植民地主義の関係が日本と米国の関係において反転したかたちで表象されることによって前者の関係が隠ぺいにされる構造がよくわかる。

今号の参考文献――
■森有正 [1979] 『森有正全集』第5巻、筑摩書房
■矢部浩治 [2015]『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』集英社
■野村浩也 [2005]『無意識の植民地主義』お茶の水書房
■高栄蘭 [2010] 『「戦後」というイデオロギー』藤原書店
■酒井直樹 [2015]「パックス・アメリカーナの終焉とひきこもりの植民地主義」『思想』1095号

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