天皇制と闘うとはどういうことか(3)/菅孝行(評論家)
第三回 象徴天皇制 起源の欺瞞 ―「国体」護持のために沖縄は売り渡された

前号からのつづき
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第三回
マッカーサー・天皇Ⅲ.象徴天皇制 起源の欺瞞
  ―「国体」護持のために沖縄は売り渡された

菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)

◇ 占領統治の構想

戦艦ミズーリ号上で日本降伏により戦争は終結した

8・15ではなく戦艦ミズーリ号上での日本降伏(9月2日)が本当の「終戦=敗戦」日である

 加藤哲郎の『象徴天皇制の起源』によるとアメリカ軍戦略情報局(OSS、CIAの前身)は1942年、既に日本占領後の統治に関して「日本計画」と呼ばれるマスタープランを策定していた。紆余曲折はあったが占領統治の骨格はほぼこの計画に沿ったものとなった。その要点は、(1) 天皇制の存置による間接統治、(2) 武装解除、(3) 戦争裁判における天皇の不訴追である。

 天皇制存置の目的は当時の日本国民の天皇崇敬の念を占領統治に利用するためである。存置する以上、裁判での訴追も得策ではなかった。アメリカは天皇を処刑せよという他の連合国政府の意見やアメリカの世論を抑える必要があった。早くからイギリスとのネゴシエーションが行われた。ソ連にも、延安の毛沢東にも伝えられていた。モスクワや延安に出入りしていた野坂参三も知っていた。

 日本との戦争で最大の被害を被った中国は内戦状態にあり、占領政策や軍事裁判に強い規定力を発揮できなかった。ソ連は戦後の主要な関心を東欧の支配に集中していたから、極東の戦後処理に強硬な態度を示せなかった。これがアメリカに都合がよかった。

◇ 革命より敗戦!

「国体護持」の捨石となった沖縄戦

「国体護持」の捨石となった沖縄戦

 東条英機の前の首相だった近衛文麿は、1945年2月、戦争を継続すれば内乱によって国体が変革される危険が高いから、早急に戦争を終結すべきだと天皇に進言した。革命より敗戦による国体護持を選べと勧めたのである。世に言う「近衛上奏文」だ。天皇は、和平交渉を有利にするにはいま一度戦果を挙げてから、と即時終結に消極的だった。

 4月にはアメリカが沖縄に上陸し、5月にはドイツが降伏し、6月23日には沖縄が米軍に制圧され、7月26日に「ポツダム宣言」が発せられた。8月には広島・長崎に原爆が投下され、長崎に投下された日にソ連が参戦した。これが天皇に降伏を決意させた。『昭和天皇独白録』で、米軍が伊勢湾に上陸すれば三種の神器を持ち去られるので、戦争終結を決意したと語っている。天皇にとって国体護持とは三種の神器を守ることだったのだ。

◇ マッカーサー・天皇・憲法 

マッカーサー・昭和天皇 遂に天皇は敗戦による「国体護持」を選択した。いや、選択の余地は既になかったというべきだろう。「玉音放送」は不倶戴天の「鬼畜米英」が国体を護持してくれたことを暗に国民に示唆した。この時から、右翼主流つまり天皇を崇敬する勢力は<反米>であることを自主規制せざるを得なくなったのである。

 占領軍は、9月11日、東条以下37人を戦争犯罪人として逮捕した。その上で、マッカーサーは、27日に天皇裕仁と会見した。日米両国は<戦争の全責任を自分が背負ってマッカーサーにすべてを委ねた天皇、天皇の人格に感銘を受けたマッカーサー>という相互信認のイメージを、占領期間を通して繰り返し最大限にアピールし、円滑な占領統治の手段に使った。この間の経緯は、J・ダワー『敗北を抱きしめて』や白井聡『国体論 菊と星条旗』に詳しい。10月、進駐軍は、軍国主義に反対して投獄された政治犯を全て釈放した。11月には日本軍の全面解体を命じた。12月、神道指令によって政治権力と神道を切断した。神道指令の限界については後に再論するが、ひとまずこれで国家神道解体の体裁が整えられた。

 敗戦後の国家像の指針である憲法草案の策定は重要な課題であった。46年1月4日、国務大臣松本蒸治が提示した松本私案は軍の解体を受け入れた以外、天皇主権を温存したほとんど明治憲法を踏襲した代物だった。当然GHQは承認せず、主権在民(天皇主権の否定)、基本的人権、戦争放棄を定めた現憲法の原案となるGHQ側草案を2月12日、日本政府に提示した。しかし、彼らは先述の理由から天皇制廃絶を求めなかった。

 基本的人権や法の下の平等の範囲が草案では人民・自然人とあったものを、日本政府は国民に書き換え、外国人に適用しないでよい抜け道を作った。GHQがそれを看過したのは、冷戦激化に伴い占領の基本理念が既に民主化ではなく反共に移っていたからにほかならない。GHQの内部のヘゲモニーも民政局(ケーディス)から情報局(ウィロビー)に移っていた。憲法は、46年11月3日に発布され、47年5月3日に施行された。

◇「主犯」不在の極東軍事裁判

極東軍事裁判 46年5月3日、極東軍事裁判は開廷した。天皇は訴追されず、東条らいわゆるA級戦犯に戦争責任は転嫁された。ニュールンベルク、及び東京での第二次世界大戦後の軍事法廷では、旧来の戦時国際法による戦争犯罪(B級)だけでなく「平和に対する罪」(A級)「人道に対する罪」(C級)が訴追された。国家権力の座にあった者による侵略戦争の共同謀議は「平和に対する罪」で裁かれた。海外で行われたBC級裁判では、多くの軍人・軍属・兵士が極刑に処せられたが、宣戦を布告した天皇は裁かれなかった。

 戦地で残虐行為を働いて逮捕されずに帰国できた多くの国民の間には、天皇が訴追されないのであれば、天皇の命令で戦場に赴いた自分たちが訴追される訳がないという潜在意識が蔓延した。これがニュールンベルク裁判との決定的な違いである。極東軍事裁判の全体像を掴むためには、木下順二作『神と人とのあいだ 第一部 審判』が参考になる。また、天皇不訴追を絶対的な使命とする日米の、つまり検察・弁護人・被告人の共謀については井上ひさしの戯曲『夢の裂け目』が正鵠を射ている。

◇「沖縄メッセージ」天皇最大の「政治」

天皇全国巡幸(久留米) 45年の暮から天皇裕仁は全国巡幸を開始した。更に46年元旦には「人間宣言」と呼ばれる詔書を公にした。これは占領政策によって天皇制が延命すること、ただしそれはもはや「現人神」ではなく「人間」であることを全国民に示唆するパフォーマンスだった。

 そして、47年5月3日に発布された憲法によって、天皇は国政に関与する権能を失った。ところが、79年に政治学者進藤栄一がアメリカ国立公文書館で発見した資料から、天皇裕仁が47年9月、腹心の寺崎英成を介して占領軍総司令部政治顧問シーボルトに日本の独立後も米軍が沖縄に長期に駐留することを天皇が希望している旨のマッカーサー宛メッセージを伝えていたことが判明した(詳細は進藤栄一 月刊『世界』1979年4月号)。

米軍占領下ジープにひき殺された6歳の少女

米軍占領下ジープにひき殺された6歳の少女

 これを天皇の「沖縄メッセージ」という。冷戦下の逼迫した情勢の下で沖縄占領の継続を不可欠と考えた米軍が、国際社会の批判を回避するために、日本側から米軍の長期在留をオファーすることを求めたことへの天皇の対応であった。「沖縄メッセージ」から読み取れるのは、天皇裕仁には強烈な反共意識があり、共産主義から「国体」を守るには、アメリカに隷属することもやむなしとの判断が働いていたと推測される。

 豊下楢彦は、『安保条約の成立』『昭和天皇マッカーサー会見』『昭和天皇の戦後日本』を通じて、米軍の沖縄占領が今日まで継続するに至っている現実に、「沖縄メッセージ」が果たした歴史的役割を執拗に検証している。「沖縄メッセージ」の政治的役割を否定する議論も存在するが、筆者は豊下の実証によって占領政策と「沖縄メッセージ」の因果関係は立証されたと考える。読者にこれらの著作の一読を勧める。

◇ 講和条約と天皇

天皇裕仁

米軍占領下でも権能をふるい続けた裕仁天皇

 国政の権能を失った天皇がなお行使した権能の最大の帰結は、沖縄の米軍への半永久的譲渡であった。天皇は、その後も国政に関与する権能を振るった。講和条約締結時にも天皇裕仁は、ワシントン(ホワイトハウス及び国務省)とホットラインを結び、政府と二重外交を展開した(cf.豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」)。大統領とマッカーサーの間に齟齬が生じると、親米反共の「部分講和」推進のための、ダレス・天皇会談をセットするために、腹心に奔走させている。天皇の「暗躍」は、日本国内の主流を占めていた全面講和の世論に水を差し、政府・与党内の対米一辺倒への流れを加速することに「貢献」した。

 天皇の独自外交は、本来ならその「違憲」性を占領軍が指弾しなければならない性格のものであったが、アメリカの国益に沿った国政への権能発揮は「沖縄メッセージ」の時と同様不問に付された。また、旧憲法下では神であった天皇の言動に正面切って異を唱える政治家も官僚も、当時は存在しえなかった。これが、現天皇明仁が「違憲」の疑いの濃い反政府的行動を取ろうとするケースとの力関係の決定的な違いである。

◇ 買弁天皇制国家 欺瞞の果て
 
 日本がサンフランシスコ講和条約で、アメリカの意向に沿って「独立」したあと、裕仁は漸く国政の権能を持たない象徴に自己を純化した。裕仁としては、三種の神器を守り、憲法に天皇制を存置させ、第二次世界大戦の敵国アメリカを反共の砦とするために、沖縄を軍事基地として無期限譲渡し、講和条約でも反共主義的部分講和を実現することに尽力し、任務を終えたと判断したのだろう。

4・28「屈辱の日」、那覇で300人集会 だがその結果成立した戦後天皇制国家とはいかなる性格の国家であったか。藤田省三は『天皇制国家の支配原理』において、戦後天皇制を「買弁天皇制」と定義している。「買弁」とは、他国の利益に奉仕することによって巨利を得る勢力のことである。つまり、天皇制国家日本はアメリカに隷属しアメリカの利益に奉仕する国家であるということを意味する。

 そのことは巧みに隠蔽されてきた。政権政党は、統治形態の買弁的性格によって、支持基盤の利益を担保してきたというのに、担保の根源である憲法の「改正」を一貫して党是に掲げた。はじめは改正する気などまるでなかった。本気になった今、天皇が改憲に反対している。革新派野党は、民主化の奥に買弁天皇制が隠れていることを知りながら、漫然と護憲をスローガンに掲げた。9条護憲と的を絞るようになったのは、既に自衛隊・防衛庁が30万人を擁する重武装組織になってから後のことだった。我々は欺瞞の国家七十四年の始末をつけねばならない。
(9月30日県知事選玉木候補勝利の報道を聴きつつ) →次号に続く


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連載目次
第一回 安倍政権の末期的醜態と天皇明仁の「護憲・平和」
第二回 「天皇の護憲」をどう考えるか
第三回 象徴天皇制 起源の欺瞞 ―「国体」護持のために沖縄は売り渡された
第四回 二人の天皇と日本国憲法「緊急避難」か国是の指標か
第五回 近代天皇制の起源・展開・終焉
第六回 象徴天皇制 ― 権力・霊性・日本資本制
第七回 幻想の共同性を踏み越えて隣人の相互信認へ
第八回 国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ

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