青年たちは今(7)私が集団・組織を恐れているわけ/芦沢理帆

私が集団・組織を恐れているわけ
■ 組織や集団を恐れる2つの理由

 運動界隈にいると、いろいろな集団・組織と関わることになる。しかし私はなぜだかいつも、そうした組織にどっぷりと関わることを恐れてしまっている。
 自分1人の力では社会を変えることはできないし、仲間がいた方がいいに決まっている。そうは思うけれど、同じ志を持つ人達に囲まれると心が距離を取りたがって、自分がそこにいてはいけないような気持ちになる。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑(東京墨田区)

 原因はおそらく、私が組織や集団というものに対してかなり懐疑的であることにあると思う。考えつく理由は2つだ。1つ目、人は集団になると、1人ではできないような大胆な行動に走りがちである。それは時によって、とても勇気のある行為であったり、ひどく残虐な行為であったりする。2つ目、組織は自らの存続のために、構成員である1人ひとりの人間をないがしろにしてしまう傾向がある。

 例えば、1923年の関東大震災時に発生した、朝鮮人大虐殺。大地震の発生という非常事態において、多くの在日朝鮮人が日本の一般市民によって殺され、怪我を負わされた。日頃の差別意識も手伝ったのだろうが、1人ひとり冷静になれば踏みとどまれた理不尽で残虐な行為が、集団によって平然と行われてしまったという歴史的事実がある。残虐な行為の責任が集団の中で曖昧になって、ブレーキが効かなくなってしまったのだろうか。

光州事件

光州事件

 一方で1980年に韓国で起きた光州事件では、戒厳軍による暴力的な制圧に対抗して市民が結集した。市民軍の反撃により一時的に戒厳軍が撤退していた数日間は、住民による自治的なコミューンが形成され秩序を保っていたという。圧倒的な武力に対抗するという行為は、いくらそこに大義があったとしても、相当の覚悟と勇気がなければできるものではないだろう。

 どちらの例も、そこに参加していた1人ひとりに「本当にそれをやるつもりですか」と改めて問うていたら、ほとんどの人が尻込みして踏みとどまったのではないかと想像する。前者の残虐な暴力と後者の勇気ある決起と、両者は表裏一体である。国も時代背景も何もかも違うけれど、この2つの事件に私は同じような恐ろしさを感じてしまう。

■ 個人と集団、個人と組織の関係

私が集団・組織を恐れているわけ 学生運動をしていて、威勢のいい仲間たちに囲まれると、自分にも大きなことができるのではないかという錯覚に襲われる。そしてその直後、不安に駆られる。自分がやろうとしていることは本当に正しいのだろうか。この集団の中で、自分は盲目的になっていないだろうか。権力への批判を叫び理想の社会を語る仲間が急に、とても危うい存在に感じられてしまう。

 集団であるということは、個人が “部分” になるということだ。そこでは個々の言動は “たくさんのうちの1つ” になり、個人の行動に対する責任の所在が曖昧になる。集団の中で自分がマジョリティーであることを喜び、それと同時に異議を唱えることは難しくなる。個々の意見の、複雑で微妙な差異は無視され、より簡潔で分かりやすい主張へと収斂されていく。時によってそれは極端で過激な主張となる。このようにして、極端に残酷な行為や捨て身の勇敢な行為が発生しやすくなる。そして「自分1人ではない」という安心感のせいで、そうした行動にはブレーキがかかりにくい。

 私が組織に馴染めないもう1つの理由は、組織と個人の関係にある。運動の現場で私はときおり、社会を変えるために運動しているのだから当然お前も協力するだろう、我儘は許さないぞ、というような無言の圧力を感じる。とりわけ、組織の存続が危ういときなどには、本人の意思にかかわらず構成員が半ば強制的に組織のために動員される、ということも何度か経験した。そんなとき私はいつも、自分はまさにそういう国家・政府の性質を批判しているのではなかったか、と自問せざるを得ない。つまり、国家という “組織” の存続・発展を最優先に考え、構成員である人民ひとりひとりを軽視してしまう性質をこそ、私は批判しているはずだった。それなのに、それと同じ矛盾に陥ってしまっている。

 なぜこのような矛盾が生じてしまうのだろう。組織が結成されると、組織としての存在意義や目的が生まれる。組織は大抵の場合、似た目的を持つ個人が集合して形作られる。そのため組織の意思は構成員の意思の総体であるとみなされてしまいがちなので、組織の意思が個人のそれよりも優先されるということがしばしば発生する。さらに組織を存続させようとする意思が働くと、異なる意見を持つ人を排除しようとし、構成員を組織のために利用しようとする。こうして個人の集合体であったはずの組織が構成員をないがしろにするという矛盾が生じる。

■ どのようにすれば
 「良い集団・組織」を目指すことができるか

昭和天皇の広島巡行

昭和天皇の広島巡行と歓喜する群衆

 このような性質があるにもかかわらず、私達はきっとこれからも集団や組織を形作っていく。どのようにすれば、愚かしい行為に走ることなく、また個人をないがしろにすることのない「良い集団・組織」を目指すことができるのだろうか。

 例えば戦前の日本は、どうしてあんなにも盲目的に戦争にひた走っていったのだろう。おそらく、情報を著しく制限し、異議を唱える者を排除することによって「日本国民は皆、天皇のために戦いたいと思っている」という幻想を植え付けていったからだろう。もし当時の日本が内外からの批判に対して開かれていて、その批判について冷静に考えることができていたならば、あれほどの無残な歴史は残さなかっただろうと思う。

 もっと規模の小さな集団や組織の場合にも、おそらく同じことが言える。同質の集団の中に閉じこもって似たような主張にしか触れないでいるとそのうちに、別の意見が存在するかもしれないという可能性すら忘れてしまう。そうなってしまうとどんどん主張が極端化していき、異なる意見を述べる者は異端者として排除するという悪循環に陥る。

 そうならないためには、どんな意見にも批判が存在しうることを忘れずに、常に外に対して開かれている必要がある。これは特定の目的を持った組織の場合にはかなり難しい。目的を実現するためには構成員の意見は一致しているほうがスムーズだし、異議を唱える人がいないほうが組織は安定するからである。

■ 歴史の経験に自覚的に学ぼう

私が集団・組織を恐れているわけ しかし、理想を掲げて運動していたはずの人々がたびたび道を誤ったこれまでの歴史を思い起こすならば、私たちはこのような組織の性質に自覚的でなければいけない。

 そして、組織は個人の集合体であり、共通の目的を持つ人々が集まってはじめて組織が成り立つのであって、構成員が目的を共有しなくなったならもはや組織は必要ないということを、肝に銘じておきたい。構成員のニーズが無くなった時には組織を解体してしまうくらいの覚悟がないと、組織のために個人をないがしろにするという矛盾を犯してしまうだろう。

 口で言うのは簡単だが、実際の集団や組織においてこれらのことを実行するのはとても難しい。上に述べてきたような集団の性質に構成員の皆が自覚的であったとしても、私はその集団に安心して属することはできないだろう。けれど、自分1人で何かをし続けるほどの力も勇気もないから、私はおそらくこの先ずっと、びくびくしながら、疑いながら組織とかかわり続ける。もしかしたら疑うことが一番、安全なのかもしれない。

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