特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか(5)/菅孝行(評論家)
第五回 近代天皇制の起源・展開・終焉

前号からの続き
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第五回

帝国憲法を発布する明治天皇

帝国憲法を発布する明治天皇

Ⅴ.近代天皇制の起源・展開・終焉

菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)

■ 明治維新による政治独裁

明治天皇

明治天皇(睦仁)

 象徴天皇制は明治の欽定憲法の改正手続きで施行された。今回はその欽定憲法がどのように形成され、どのような変遷を遂げて今日と繋がっているかを概観する。

 大澤真幸は『戦後の思想空間』で戦前の近代日本77年の過程を、(1)近代天皇制国家の成立から明治の強権の終焉までの「天皇の国民」(1868~1912年)の時代、(2)その反動で強権が弛緩し、デモクラシーが或る程度定着した「天皇なき国民」(1912~1932年)の時代、(3)天皇制イデオロギーを内面化させられた国民が、軍国主義権力の戦争に翼賛した「国民の天皇」(1932~1945年)の時代に区分した。

 維新政府が成立した当時、新政府は法的正統性をもたない政治独裁政権であった。新政府は、政治権力と神道の宗教的権威を一体化させた祭政一致国家を構想した。幕藩体制と一体化していた仏教教団が「中間団体」として生き残ることを警戒したのである。

 政府は、神祇官制度や神祇省によって神道の特権性を前提とした「天皇の独裁」体制を築く「野心」を抱いた。だが、幕藩体制と親和的だった勢力などからの反発が大きく、神祇省は教部省に再編され、政府は一旦、宗教としての神道を仏教と対等に扱うしかないところまで後退した。「野心」の達成は憲法制定を待たねばならなかった。

■ 天皇制国家構築の迂回路

西南戦争

西南戦争(1877年)

 喫緊の政策課題は早急な本源的蓄積の推進であり、そのためには封建領主の権力とその支えとなる軍事力の解体が不可欠だった。政府は1869年に版籍奉還を藩主に求め、1871年には廃藩置県を断行した。藩士を全て失職させ、新政府の軍隊へ再編・回収することを試みる一方、旧領主には藩の収入の十分の一を俸禄として与え、華族に列して厚遇した。また、藩ごとに流通していた藩札は政府発行の紙幣と等価交換して通貨制度を資本制に馴染むものへと一元化した。

 日本の資本制は、新政府の強制によって「上から」形成され発展したものである。金融資本の多くは江戸時代の御用商人である。維新直後から建設された官営工場は、やがて払下げされ、産業ブルジョワジーも「上から」育成された。

 維新政府のこれらの政策で打撃を受けたのは、藩士の身分を奪われた士族層と農民などの平民層であった。士族反乱は1874年の佐賀の乱に始まり、1876年には神風連の乱、秋月の乱、萩の乱がおきた。そして、1877年には西南戦争に至る。

主な私擬憲法(出典:読谷平和資料館

 他方、維新政府への不満は市民革命のエートスの発現を促し、自由民権運動の契機となった。1874年、板垣退助らによって民選議院設立建白書が政府に提出され士族民権の運動が開始される。地租改正で深刻な税負担を強いられた農民層の在地民権がこれに呼応し、ジャーナリスト、知識層らの都市民権派も合流した。国会設立期成同盟が憲法草案の発表を予告するや、全国の民権派によって「私擬憲法」が無数に作られた。

 政府は士族反乱と自由民権運動の鎮圧に追われた。讒謗令、新聞条例(1875年)、集会条例(1880年)などの弾圧条例を連発したが抑え込むことはできなかった。政府内部でも、自由民権運動を壊滅させたい勢力と容認派の対立があり、伊藤博文・井上毅らは、「十四年政変」を起こし容認派の大隈を失脚させ、返す刀で十年後の国会開設を公約した。これは、下からの立憲主義的国家構築を阻止するためのクーデタに他ならなかった。

■ 神権天皇制の根拠としての欽定憲法

宮武外骨の風刺画

当時の風刺画(明治天皇らしき骸骨が「頓智研法」を下げ渡す/宮武外骨

 伊藤は、欧米のキリスト教に替わる宗教的権威として天皇幻想の「国民化」を不可欠と考えた。だが他方で、この憲法は復古的神がかりの祭政一致と一線を画し、鹿鳴館文化のエートスと通底する近代化政策の一面を備えてもいる。国際社会からの警戒と非難を避けるのが政権の絶対の使命だったからである。

 1889年に制定された「欽定憲法」は一方で天皇を「神聖不可侵」(3条)としながら制限君主制への道を開くもの(5条)でもあった。5条は元老をはじめとする支配層にとって制限君主制の根拠として機能し、3条は大衆の絶対的な現人神信仰の根拠となった。

 政権は祭政一致国家を構築するかわりに、欽定憲法と皇室典範によって、国家神道を国教として定着させる根拠を確立した。宗教一般への信仰の自由は国家の安寧に悖(もと)らない限りという条件付きで保証される(28条)一方、国家神道は宗教一般と分離され、現人神への信仰は宗教ではなく臣民の義務とされたのである。

■ 欽定憲法体制の足腰

欽定憲法の補完装置としての靖国 しかし、国民の幻想の共同性を確固たらしめるには、憲法の足腰となる補助的装置が不可欠だった。最たるものが1890年に元田永孚(もとだながざね)によって策定された教育勅語である。教育勅語は儒教と国家神道の複合によって成り立つ通俗道徳の指針の性格を備えており、教義のない国家神道がこれによって補強された。教育勅語に先立って1882年には軍人勅諭が策定され、天皇と国家への軍人の忠誠の教義が確定された。

 1906年には神社の統廃合が行われ、全国20万社中7万社が廃棄されるとともに、神社の主神はすべて皇祖神とされた。神社に参拝すれば皇祖神を拝んでしまう装置が作られたのである。

 穂積八束や上杉慎吉の「国体論」イデオロギーも憲法における天皇の地位の補強に寄与した。更に高山樗牛、井上哲二郎などの御用学者たちは「家族国家観」を提唱した。「国体論」とはこの国は他国と違って万世一系の天皇を頂く国のかたちを持っており、それを変革することは許さないとする主張であり、「家族国家観」は、この国は天皇を父とする大きな家族であって、このような国家は万邦無比だとするものだ。この国は人為の構築物ではなく、自然の所与だというイデオロギーである点で両者は共通している。

「ご真影」への恭順が子供たちに訓練された 多木浩二の『天皇の肖像』によると、1890年代には学校毎に「ご真影」が配布され、天皇の写真を天皇と同一視して畏敬と恭順の意を表させる訓練がなされた。学校での馴致(じゅんち)には、修身教科書も重要な役割を果たした。色川大吉の『明治の文化』によると、修身教科書で天皇と「赤子」を結びつけるイデオロギーが確立されるのは1910年代である。

 同時に権力は治安弾圧立法を整備した。民権運動昂揚期の諸条例に加えて、1900年治安警察法が、1908年には大逆罪が制定される。1910年には、この法律によって、大規模な大逆事件がフレームアップされた。こうした過程は、植民地支配の進展と呼応している。1895年、日清戦争に「勝利」した日本は台湾を手に入れた。1905年、日露戦争の「勝利」で南樺太、千島列島を得た。さらに日本は1910年、朝鮮半島を植民地化した。大逆事件は、植民地住民や日本人の反政府勢力に対する予防反革命であった。

■ 大正デモクラシーと総力戦体制

大正天皇(嘉仁)

大正天皇(嘉仁)

 1912年、大澤のいう「天皇なき国民」の時代が始まる。
 過剰な威厳を備えた日本国家の「父」であった天皇睦仁の死は、国民の権力に対する関係意識を変えた。第一次世界大戦とロシア革命、三一独立運動や五四運動は被支配階級を鼓舞した。沈黙を強いられてきた民主主義者や社会主義者のインテリにも勇気を与えた。青鞜社にはじまる女性解放運動もこの時代に活性化した。共産党も結成された。水平社運動も興った。協同組合運動も広がった。労働運動も資本と対決する姿勢を強めた。政党政治が模索され、1920年代には、立憲政友会と民政党の二大政党による政権交代が反覆された。

 勿論、この時代に総力戦体制の土台が構築されたことも見逃してはならない。第一次世界大戦で戦勝国となった日本の軍事力は、米英両国から警戒の対象となった。ワシントン会議の軍縮協議は、両国の日本に対する牽制の政治的表現であった。そういう危惧を当時の世界の二大覇権国家に抱かせるだけの軍事力を日本は整えつつあったのである。1925年の普通選挙法と治安維持法の同時制定はこの時代を特徴づけている。

小林多喜二の虐殺

小林多喜二の虐殺(1933年)

 1930年代に入ると軍部と政党の相克が激化し、抵抗運動への権力の弾圧が激化した。
 また、1931年には橋本欣五郎ら桜会によるクーデタ未遂事件(三月事件、十月事件)が続いた。その翌年には、血盟団により井上準之助、団琢磨へのテロが敢行された。
 海軍系の軍人と橘孝三郎ら民間右翼団体による、5・15事件は政党内閣の命脈を断ち切った。以後、敗戦まで全ての内閣は軍部主導の「挙国一致内閣」となった。

■ 軍部独裁と天皇制の変容

昭和天皇(裕仁)

昭和天皇(裕仁)

 この頃、大澤のいう「国民の天皇」の時代、大衆がウルトラナショナリズムに基づくテロや侵略戦争の戦果に喝采する時代が到来した。当時の極右勢力には、二つの対立するグループがあった。一方は永田鉄山らエリート軍人を中心とする統制派、他方は貧農出身の尉官級士官を中心とする皇道派である。1934年の士官学校事件では皇道派が打撃を受けた。1935年には永田鉄山が殺害された。1936年には二・二六事件が起き、天皇の強い指示で磯部浅一以下、皇道派が大量に銃殺された。

 軍人の政府転覆計画はみな制圧され、ファナティズムのイデオロギーは権力に横領された。御用イデオローグ菊池武夫が火をつけた「国体明徴論」は猛威を振るった。蓑田胸喜の異端狩りが暴威を振るった。1937年には日中戦争が開戦し、1938年には国家総動員法が制定された。1940年には、全ての大衆団体が大政翼賛会に吸収された。1941年、「大東亜戦争」の開戦に当たっては、東条英機によって「戦陣訓」が「示達」された。戦時下天皇制は軍事的敗勢の進展とともに政・軍・民一体で自壊へ向かうほかはなかった。

■ 現代政治に生きる神権天皇

 敗戦・占領によってファナティズムは鎮静した。しかし、天皇制は日米の支配階級の利害の一致によって温存された。象徴天皇制の宗教的権威は戦時下の神権天皇制と同一である。権力は些細な「改正」で、支配を正当化するための神権政治への道を開くことは今も可能だ。

 これが、神政連・日本会議に依拠した安倍を頂点とする勢力の願望にほかならない。天皇に国政の権能のない現憲法下においても、なお衣の下の神権天皇制は生きている。これを始末することなしには民主も立憲も空語に等しい。次号に続く


連載目次
第一回 安倍政権の末期的醜態と天皇明仁の「護憲・平和」
第二回 「天皇の護憲」をどう考えるか
第三回 象徴天皇制 起源の欺瞞 ―「国体」護持のために沖縄は売り渡された
第四回 二人の天皇と日本国憲法「緊急避難」か国是の指標か
第五回 近代天皇制の起源・展開・終焉
第六回 象徴天皇制 ― 権力・霊性・日本資本制
第七回 幻想の共同性を踏み越えて隣人の相互信認へ
第八回 国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ

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