天皇制と闘うとはどういうことか(7)/菅孝行(評論家)
幻想の共同性を踏み越えて隣人の相互信認へ

前号からの続き
特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第七回

ブリューゲル「野外での婚礼の踊り(部分)」

ブリューゲル「農民たちの婚礼の踊り(部分)」(1610)

Ⅶ.幻想の共同性を踏み越えて隣人の相互信認へ

菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員)

■抵抗と革命の千里の径庭

新年天皇一般参賀(2019) 反安倍政権の大衆運動を展開してきた勢力の支配的言論は、何故かくも天皇に対して恭(うやうや)しいのだろうか。逆に反天皇制を掲げる左翼の言論は、何故かくも政権批判に力を注がず<天皇主敵論>に熱中するのか。また、反天皇制を掲げて然るべき政党や党派は何故自らの立場を鮮明にしないのか。それは、日本国家の統治における象徴天皇の位置と機能の<判りづらさ>と、天皇への主権者の親和感情との距離の測りがたさ故にほかなるまい。

 三十年前、立川や山谷での天皇主義右翼との攻防を先触れに、「天皇在位60周年記念式典」や、重症の天皇裕仁への平癒祈願の「自粛」・服喪・即位・大喪・大嘗祭と続いた戒厳体制に反対する運動が展開された。また国旗掲揚・国歌斉唱の強制、天皇賛美の式典の類を拒否する闘争が継続されてきた。これらは天皇の威を借りた権力の弾圧や、天皇主義右翼の威嚇への異議申し立てだから、「広義」の反天皇制闘争ではある。降りかかる火の粉は払わなければならない。だから筆者も末席を汚した。

 だが「狭義」の反天皇制闘争とは権力の統治を転倒し消去する運動である。抵抗運動と統治形態の変革は別の範疇に属する。前者は弾圧に対する抵抗、後者はの統治形態の解体運動である。この差異は重大だ。

■権力と権威の相補性

日の丸とハーケンクロイツ

瀬戸弘幸らレイシストによるナチス礼賛デモ

 歴史上、ナチスへの抵抗とヒットラーの統治を転覆する闘争が一体だと認識されたのは、ナチス政権の権力がヒトラーに集中していたからである。「欽定憲法」下の天皇制権力の法制上の地位もヒットラー政権と共軛(きょうやく)であった。だが、国政の権能を全く持たない象徴天皇制の統治の下では、天皇の権威を笠に着た権力の弾圧に対する抵抗運動と、統治形態を転覆して、天皇という君主自体を除去する闘争にはその性格に千里の径庭がある。両者を区分しなければならないのは、この国の権力と権威が、乖離しながら巧妙に互いを補い合う関係にあるからである。

 戦後七十余年、この国の左翼は、権威と権力の乖離と相補の関係をどう把握するかに難渋してきた。さらに、戦後国政の権能を失った後の裕仁が、神権天皇の余光と占領軍の権威を笠に、あたかも主権者の如く国政に関与したことも難渋の原因となった。国政の権能のない筈の裕仁は沖縄の運命を決定づけ、反共主義的「部分講和」の推進に「寄与」した。これらの言動は衛生無害な<象徴>などというものではなかった。だが、政府は戦後憲法の規定を逸脱して暗躍した裕仁の越権を容認した。利害が一致したから象徴天皇裕仁と権力の間に、確執が生じることはなかったのである。(Ⅲを参照

 しかし「平成」に入ると様相は一変する。明仁は一度も主権者や大元帥であったことがない。また明仁はこの三つの乖離を弁えていることを伺わせる言動を重ねて来た。そして、Ⅳで述べたように、平和主義の理念に基づく「護憲天皇」の身振りに徹しようとする明仁は、改憲を目論む政権と確執を醸している。

■天皇を盾にした護憲

安倍総理を厳しい目で見つめる明仁天皇 その結果、奇怪な錯覚が広範囲の人々に蔓延した。錯覚の根源には、天皇の執拗な「護憲」姿勢への人々の共感がある。明仁は在位中最後の誕生日の「おことば」でも「沖縄に寄り添う」と述べた。秋篠宮までが膨大な特別予算による華美な大嘗祭に疑義を呈した。

 その対極で、行政権の長が憲法99条など存在しないかのように改憲の旗を振っている。反政府の立場に立つ野党も、議会外の対抗運動も非力で、政権の壟断(ろうだん)を阻む即効的手段を見出すのが困難である。立憲民主党の党首は伊勢神宮に参拝した。こうした趨勢が「護憲天皇」を遇する姿勢へと、立民より「左派」の革新勢力をも誘導する。多くの人々が天皇を盾にした反政府の運動を願望するに至った。

 だが、よしんば天皇が「個人」として卓越していても、主権者に不可能なことを天皇に期待するのは錯覚である。明仁に心底心を寄せてしまった人は「天皇主義者」の亜種に過ぎないし、天皇への親和感情を反政府闘争に利用するために意図的に天皇制を容認する人々は君主制廃棄を断念した<善意の敗北主義者>でしかない。君主制を容認すれば、Ⅵで述べた国家の呪縛を解く思想の筋道は断たれてしまう。

 天皇には国政の権能は無い。だから、政府に寄り添う天皇は目的を達成するが、異議を唱える天皇は、政府に無視され主権者が天皇に寄せた共感はガス抜きされ、幻想の共同性は揺るがない。「沖縄に寄り添う」と言った明仁に人々が共感しても安倍の政治は変えられない。天皇頼みの反政府運動は、天皇を主敵とする明仁攻撃同様お門違いなのだ。

■幻想の統治と闘う
 
大嘗祭儀式装束の明仁 では統治形態の転倒には何が必要か。何度も触れたように近代国民国家の統治には三つの位相がある。第一が資本制、第二が政治権力、第三が幻想の共同性である。象徴天皇の政治的機能は第三の位相、即ち政治権力と自らの霊性を結合し、その正統性を国民に承認させる幻想の共同性を喚起する機能に特化されている。だから天皇制との闘いは、主権者に内面化された国家の宗教的権威との闘い、つまり、支配階級の私的利害や価値意識を普遍的・一般的な価値として内面化した主権者自身の集合的感情との闘いである。

 この集合的感情はナショナリズムを生む。それは、国民国家毎に互に異なる、固有の宗教的・文化的価値に媒介される。反天皇制闘争とは、天皇を権威とする日本国家の統治を解体するために、天皇の霊性への崇敬・親和を消去し、天皇の霊性など主権者に何の関係もない地平を作り出す闘争にほかならない。

■国家への幻想から隣人の信認へ

 P・メイヨーは『グラムシとフレイレ』(太郎次郎社エデイタス刊)でこういう。

「グラムシにとってはヘゲモニーが競われている地帯は、ヘゲモニーをささえているまさにその地帯、即ち市民社会であり、ここが闘いの場であると考えられていた。国家は市民社会の諸制度によって支えられているから、国家を変えて新しい社会関係を作り出そうとしても、正面対決ではことは進まないと、彼はいう。この種の正面対決をグラムシは『機動戦』と呼んでいた。しかし、国家とその制度を内側から変えるプロセスが、権力の掌握のあとではなく、それに先行しておこなわれなければならない、とグラムシは考える。社会変革を目指す人々は・・・広範な社会組織のなかで、彼らの文化的影響力を高めていく『陣地戦』に従事する必要がある、というのだ(P59~60)。」

 グラムシのいう「陣地戦」とは、市民社会のただ中に、資本と権力ヘの対抗ヘゲモニーを担保する<場の力>を組織することである。この組織化が進んだ分だけ、既存の権力の下でも幻想の共同性から我々は自由になる。

 メイヨーは、その具体的実践例をニカラグアのサンディニスタ政権が成立する以前に「革命の神学」派の神父が教会を拠点に展開した「市民教育」に見出している。フィリピンや韓国での反独裁闘争で両国の宗教者たちが果たした役割もこれに通じるものがあった。

■相互信認の集団的叡知

三井三池闘争(1960)

三井三池闘争(1960)

 日本の権力は天皇に対する主権者の崇敬や親和を媒介に「国威」を荘厳化し、政策を執行する。それ故、権力と闘う陣営がこの崇敬や親和を無効にするには、天皇の霊性への崇敬や親和の念を凌駕する、隣人との相互信認の現実定義力を形成しなくてはならない。

 隣人相互の信認には紐帯が不可欠である。その紐帯は、個の生命とその尊厳を守るための集団的な叡智に媒介される。隣人間の相互信認は、この叡智を保持している集団に共属しているという確信に支えられる。この確信が組織されてゆくプロセスこそが、グラムシの考えた、権力奪取以前に制度を内側から変える「陣地戦」にほかならない。

 古典的に考えれば「陣地」の核心は労働組合である。戦後日本の労戦でも炭労の「ぐるみ闘争」は「陣地」の一つのモデルであった。地区労運動のネットワークにも「陣地」たりうる可能性が秘められていた。だが、労働運動が連合主導となって戦闘性を解体されてから、関西生コン労組など幾つかの例外を除くと、労働運動に「陣地」の役割を期待するのは極めて困難になった。産業構造の劇的転換に伴って雇用が短期化・流動化し、賃労働と資本の矛盾が現出する現場が、必ずしも対抗的な運動を持続的に組織化する現場となりえなくなったからである。

 その反面、資本制が生み出す矛盾が噴出する場は、労働・生産の現場だけでなく、労働力再生産の場や、生命そのものの再生産の場の全域に拡散している。それらは悉く「陣地」として組織化しうる可能な条件を備えている。

■現代社会における「陣地」の可能性

アジール、逃れの町、自由領域 多くの場合、生活・労働百般に渉る相談と緊急避難の駆け込み寺となる、ユニオンやNPOが運営に関与するカフェ、シェア・ハウスなど、難を逃れて一息つき、傷を癒し、共同でお互いの「難」の社会的な意味や問題性を発見することができるような「寄り合い」の場からことは始まる。大切なのは、そこが市民社会の只中にありながら、権力や資本に介入されない、中世社会の「アジール」(阿部謹也『中世を旅する人びと』/網野善彦『無縁・苦界・楽』など参照)の条件を現代社会の中で担保できるかどうかである。

 それが可能ならば、そこは単なる避難と癒しの場ではなく、問題を発見・共有し、共通の敵を見出し、解決の針路を共同で発見し、行動のモチーフを共有する場へと性格を変え、闘いの拠点・根拠地となる。権力の側から見れば、そこはまつろわぬ者たちの、反秩序の<温床>、梁山泊、巣窟である。そこではもう天皇などどうでもよくなる。組織者が市民社会に進駐して、<陣地>が縦横に組織されると、統治形態の転倒はそこから始まる。最終回には、どこから始めることが可能か、その手掛りを探りたい。(→次回につづく


連載目次
第一回 安倍政権の末期的醜態と天皇明仁の「護憲・平和」
第二回 「天皇の護憲」をどう考えるか
第三回 象徴天皇制 起源の欺瞞 ―「国体」護持のために沖縄は売り渡された
第四回 二人の天皇と日本国憲法「緊急避難」か国是の指標か
第五回 近代天皇制の起源・展開・終焉
第六回 象徴天皇制 ― 権力・霊性・日本資本制
第七回 幻想の共同性を踏み越えて隣人の相互信認へ
第八回 国家への幻想を超える隣人相互の信認の形成へ

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