特別講演】熊沢誠氏「関生の弾圧状況は19世紀当時の英国と酷似」
- 2019/4/6
- 反弾圧, 関生型労働運動
- 2018関生弾圧事件
労働運動研究の権威 熊沢誠氏(甲南大学名誉教授)
が3・10集会に出席、特別講演
「ストライキが犯罪か!労働組合つぶしの大弾圧は許さない!3・10集会」で、わが国の労働組合運動研究の権威である熊澤誠(甲南大学名誉教授)講師による注目の特別講演が行われた。
あの労働運動が禁止されていた戦前の天皇制下での軍国日本の特高警察。そこでの取調べを思わせる、滋賀県警~大阪府警の醜い公安筋の横暴に対し同氏は、連帯労組関西生コン支部に加えられている権力弾圧は「歴史的・世界史的に見ても類を見ない悪質なモノ」と断じた。
英国ほか海外労働運動で、19世紀末から承認されてきたごく当たり前過ぎる労働者の争議権が、いかに現代日本で空文化されているか。本来声を挙げるべき護憲勢力、野党~労働団体の危機感のなさに、ファシズムは産業民主主義の破壊と蹂躙から始まるとして、参加者に大きな警鐘を鳴らし、社会運動・労働運動の枠を超えた広範な民衆連帯の必要性が訴えられた。<見出し・文責:編集部>
熊澤誠(くまざわまこと)氏
1938年三重県生まれ。1961年京都大学経済学部卒業。1969年経済学博士。専攻は労使関係論・社会政策論。甲南大学名誉教授。労働の中での人間復権を追求し、1999年より研究会「職場の人権」を創設。 NPO法人「労働と人権 サポートセンター・大阪」共同代表理事。日本社会政策学会ほか会員。『産業史における労働組合機能―イギリス機械工業の場合』ほか、著書多数。
■ 労組活動承認巡る時代状況
19世紀末英国の歴史と酷似
1870年から1906年にいたる英国で、労働組合が承認されるということの本当の意味が今回明らかとなった。
1859年~71年に労働組合を作ることを認める、団交・団体行動を認めることが一応は承認された。それに対して権力が反撃の機会を窺って、同じ年に刑法修正法=ピケットラインを不可能にする法律が成立。ピケ破りに対する働きかけを犯罪にする…つまりは、ピケ破りの前に立てば妨害。荷物を運ぶのを阻止すれば営業妨害。ピケ破りにしゃべりかけると脅迫。ピケ破りを2・3歩でも追いかけると追跡。工場の門前で待っていると監視。2,3人で説得すると包囲。…こうなると労働運動は不可能になる。
これに対して、労働者階級が全面的な反撃を見せた。1875年の、共謀罪及び財産保護法(共謀や財産保護を簡単に適用してはいけないという法律)、団結禁止法(団結してもいいという法律)から、76年で一応決着が付いたかと思われたがタッフベールで行われた労組ストライキに対して会社が損害賠償を請求すると言う事があった。
この損害賠償に対して企業側が勝訴したためタッフベール判決と特筆され言われるが、この判決が労働党を作ったといわれている。
1906年労働争議法。労働組合運動が本当に承認されるということは、民法上、刑法上の免責があるということで、刑法上の免責の意味は1人でした行為が非合法でないなら、それが労働組合員によって集団的に行われたからといって非合法とすることはないという意味である。今、連帯労組関生支部に対して行われていることは、1900年頃に確立された刑事免責を踏みにじるものだ。
■ なぜ関生支部にいま弾圧が?
ストの無い国、世界で日本だけ
まず労働組合の争議行為というのは必ず商売に打撃を与える。商売に打撃を与えるためにストライキをするのだから。
タフベール判決が破棄されて以来、労働組合が会社に打撃を与えても損害賠償を請求できない。これは日本の労働組合法に明記されている。これが労働組合が承認されるということの意味である。
そうすると、今回の連帯労組関生支部に加えられている権力弾圧がいかに歴史的にもいかに反動的かということがよくわかる。民事免責、刑事免責が労働組合承認の黄金律であるからだ。
では黄金律を込め、つくられた憲法28条と労働組合法を踏みにじって、いまなぜ関生支部に弾圧が来るのか?。なぜ、今か?。
それは、日本全体に労働組合運動が衰退しているからに他ならない。労働組合に弾圧を加えても、大したことにならないと権力は読んでいる。今の日本では争議はおろか、ストライキが皆無。
比較の指標になる日本の争議損失日数は15000日、例えば300人なら50日の全日ストライキを打ち抜けば 300×50=15000 となる。そして米国はこの49倍、イギリスは11倍、ドイツなどは73倍だ。
日本はストライキがない国。今時ストライキか、というのが彼らの言い分だが、今時ストライキ?という考えが今の日本に浸透している。だから関生支部を弾圧してもたいしたことにならないと権力は考えている。
■ なぜ関生労組は弾圧されるのか?
スト権を行使する真っ当な労組だからこそ
なぜ、関生か?それは、関生支部がもう例外的な存在になったからで、まっとうな労働組合だからである。ストライキの出来る組合がほとんどなくなって、真っ当な組合だから弾圧された。弾圧されることは勲章であろう。
まず関生支部は、<支部>という名称だが単組であって、企業の枠を越えた業種別産別の単一労組であるということ。生コン業界、運送業界の正社員も非正規もそこに包含している。権力が、労働組合は直接雇われていない企業にものを言うのはおかしいと言うが、その考えは世界の労働運動の常識から外れている。世界的にはそれこそが標準的な普通の労働組合なのだから。
次に強い労働組合だということ。産業のあり方を視野におさめて、産業政策をしっかりと持っている。
生コン産業のあり方は、川上にセメントメーカー、川下にゼネコン。その間で収奪にあえいでいる生コン~運送業界の経営の安定なしには、労働条件の安定がありえないという認識の下に協同組合を育て、セメントに対する共同受注、ゼネコンに対する共同販売で生コン価格の維持をどうにか図ってきた。
関生支部が活躍している地域をそうでない地域と比べると、この地域の生コンの価格は高い。中小業界の安定なしに労働条件の維持はありえない。それは誇るべきことであり、中小企業との共闘がカギとなる。しかし、セメント業界や生コン業界で関生支部と関係のない企業には、この関生は商売の邪魔でしかない。競争で買い叩くのが資本の本質だからだ。
次に関生支部は必要なストライキを実行するということ。生コンの価格の維持も副次的な要求として含んで価格の相場を破るアウト企業へのストライキの実行、ないしその企業におもむき説得をする、そんな産業政策をしてきた。
■ 利権集団が良心的企業
追い詰め、商売の邪魔を
そういう組合だから潰さないといけない、中小企業の収奪や労働者の搾取をはかるゼネコンやセメントがそう狙っている。
それに従属する利権集団の大阪広域生コン協が、関生支部を商売の邪魔だとして潰そうと暗躍している。
大阪広域協は関生と関係を保つ良心的企業(業界の安定と労働条件の維持を心がけている業者)に狙いを定め、その企業の商売の邪魔をして、商売がなりたたないようにする。そして、良心的な業者が不当労働行為に走る様に仕向ける。さらに、右翼排外主義の在特会。ヘイトの連中がピケの現場に現れて跳梁跋扈する。
次に国家と警察権力が協力して直接的な弾圧に入ってくる。警察が不当労働行為そのものを展開する。刑事の取調べは治安維持法下の特高とほぼ同じものとなっている。治安維持法の目的の一つは転向させること。特高の調べは運動から離れろ、離れろと連呼する。普通の労働組合員に対して、なぜ警察が「労組をやめろ」といえる立場にあるのか。
■ ストを「犯罪」とみなす動き
ファシズムに繋がりに警戒
私は50年労働運動の研究をしてきたが、こんなことは初めての経験だ。普通のストを暴行、脅迫、威力業務妨害とする刑事免責を蹂躙する不当な権力行使だ。
直接には今のところ損害賠償はないが、民事免責は正当な争議行為に対して行われると労組法は書いている。今回の弾圧が刑事裁判で負けると損害賠償が来る可能性がある。かつての国労スト敗北後と同じような損害賠償が広域協から起こされるのではないか。
ストライキを非合法の犯罪とみなすという大きな不穏の動きが始まっている。
民主主義とは、人びとが自分の生活に影響をおよぼすことに自己決定権を持つこと。普通の労働者は大きな権力も大きな財産も政治家とのコネもない。そういう普通の労働者にとっての民主主義とは自分の生活に影響を及ぼす労働条件への決定参加権にほかならない。それが労働三権、それが憲法28条に書かれている。産業民主主義。私は日本の民主主義の中で産業民主主義を以下に根付かせるかに腐心してきた。
産業民主主義が日本では弱い。産業民主主義の保障なしに、狭義の政治的民主主義だけでは、普通の一介の労働者にとって民主主義は虚妄。まっとうな労働組合運動の弾圧は、もっとも悪質な民主主義の破壊。ファシズムは必ず産業民主主義の蹂躙を含んでいる。自分は労働組合ではないからこの弾圧は関係ないと思うところからファシズムが始まる。
■ 産業民主主義と、関生弾圧の
不当性を多く叫ぶ必要性今こそ
日本の世論の関生の弾圧に対する対応はこのままではとうていダメ。護憲勢力、野党、労働団体は、政治的民主主義の危機、議会主義の危機はいうが、産業民主主義の危機には鈍感である。
今日のように700人の労働者が集まる集会自体がもう少ないが、しかし、ここにいるのは狭い意味の仲間の組合、全労協系の組合ばかりだ。全労連、連合、普通の企業の労働組合がだれひとり加わっていない。こういうところに来てはいけない気持ちになっている。
関生弾圧事件は政治や国会の問題にならない。本来なら社民党は国会の問題にして、大阪広域協の木村や滋賀県警の本部長を国会で証人喚問してもいいところである。武委員長もその場に呼ぶべき。そこで武委員長が自分のしてきたことを力説すればよい。
弁護士の活躍を頼りにしている、裁判闘争では心もとない。社会運動・労働運動の展開・政党やナショナルセンターの枠を越えた幅広い、非妥協的な戦線の構築が今こそ必要だ。