
反天皇制デモ(2019.5.1)出典:おわてんネット
4月-5月天皇代替わり情勢を闘って
5月1日の天皇代替わりに向けて東京で行われた連日の反天皇制の取り組みに参加した。4月28日には渋谷において「反天皇制・反戦・改憲阻止行動」のデモに参加、集会には登壇してアピールを行なった。おわてんねっとの呼びかけた4月30日の新宿アルタ前行動では、すでに「奉祝」の垂れ幕があちこちに飾られ、奉祝ムードを演出していた。
右翼の妨害のなか、アルタ前の路上で参加者が代わる代わるアピールや音楽に合わせたシュプレヒコールを行なうなか、アルタ前の大型ディスプレイに明仁が退位に際して「お言葉」を述べる様が映し出されたが、そのタイミングに合わせて私たちはシュプレヒコールをあげることで奉祝ムードをぶち壊すことに成功した。
沿道からの注目も高かったし、妨害に来た右翼・排外主義者たちもこの瞬間は大きな妨害を加えることができず、マスコミもこの日の取り組みを取り上げざるをえなかった。行動の場所の選定からして主催側の創意工夫が有効に発揮された戦略だったと思う。

日比谷メーデー(2019.5.1)出典:ジグザグ会
そしていよいよ5月1日はメーデーのデモ1回、反天皇制デモを2回と、1日に3回も銀座・新橋周辺でデモを行なった。特におわてんねっとが主催したデモには500人の参加者が集まり、雨の中デモを貫徹した。
私が参加した連日の取り組みにおいては、右翼の側に逮捕者は立て続けに出たものの、妨害は量質ともに激しくはなかった(そもそも天皇制をテーマにしたデモや集会であれば毎回妨害にあうこと自体おかしなことだが)。とはいえ、当時の記録や証言を見聞きする前回の大喪の礼、即位の礼に際しての抵抗運動に比較しても、社会運動の側が大きく後退してしまっている感は拭えない。
なぜ天皇制をなくさなければいけないのか
簡潔にまとめると、天皇制は天皇個人の振る舞いに関わらず、民族差別、女性差別、障害者差別を必然的に肯定するシステムだからだ。
さらに天皇制は現実にある階級対立や差異を隠蔽し、国民国家の中に統合する。天皇制を打倒することは、私たちが世界そのものの根本的変革という想像力を育む上で不可避だ。
また、明仁に限っていえば、最後の在位式典において「平成において戦争がなかったことは良かった」などと発言したが、湾岸戦争、イラク戦争における自衛隊派兵、沖縄・琉球弧をはじめとする米軍基地の押し付けや自衛隊配備など、日本「本土」で死者がでなければ(あるいは攻撃されなければ)平和であるという幻想を在位の間振りまき続けて来た。
反安倍政権、左派、リベラルのある部分が明仁の裕仁や現政権に対して相対的に左派らしい言動に一々色めいてしまうのは、それが他ならぬ天皇から発せられたものであるからに過ぎない。
最近「天皇制はいらない」というタイトルのビラをまいていると「天皇陛下は必要だよ!」「反対なら日本から出てけ!」「共産党か!?」「中核派か!?」「韓国人?」と、ビラの内容を読みもしないくせにとにかく天皇制を問うことへの脊髄反射的な反発とヘイトスピーチが返ってくることが他のイシューのビラまきと比べて多い。
しかし、一方で天皇制がきっちり批判されるということに遭遇する機会がないからか、ビラの受け取りは飛び抜けてよかった。
天皇制を考える上で最も不気味で恐ろしいのは、いかに天皇制が自然なものとして受容されているかということだ。逆にいえば、天皇制の自然化の分析と脱自然化は、反天皇制運動に天皇制を打倒することと同じかそれ以上に重要な運動論の展開を生み出すに違いない。
直近では5月下旬にトランプが来日し新天皇徳仁と会談、間は空くが10月22日には即位のパレードが行われる。戒厳体制はますます厳しくなるが、とにかく街頭に、職場に、学園に、皇居に、様々な領域で反天皇制勢力を形成し登場することが必要だ。