
(前号からのつづき)
日米政府の押し付ける新基地絶対反対
「琉球民族」自らで、世界に平和と希望を
少女暴行事件とSOCO合意
72年の沖縄返還以後、日米両政府は、沖縄県民の基地負担軽減の声を無視し続けてきた。沖縄県の基地返還要求は棚晒しにされ、米軍の演習や訓練にともなう航空機騒音被害などの住民被害や米軍人・軍属による犯罪への対策もなされず、23年が過ぎた1995年9月に米海兵隊員三人による少女暴行事件が起こった。

少女暴行事件に全沖縄が憤激した(1995.10.21県民大会)
この事件を契機に、怒涛のように沖縄県民の米軍基地への怒りが噴出した。そして、日米両政府は、初めて沖縄の基地の負担軽減を協議する「沖縄に関する特別行動委員会・SACO」を設置し、1996年12月のSACO最終報告は、普天間飛行場の全面返還のほか10施設の返還を打ち出して沖縄の怒りに対応した。
しかし、いずれも沖縄内での代替施設建設を条件としており、施設のリニューアルを日本政府の予算で行なうものだった。その結果、SACO最終報告から19年を経た今日でも、普天間飛行場の全面返還を含めて、五事案が返還されないままになっている。
嘉手納基地と普天間飛行場には、航空機騒音規制措置が合意されたが、騒音被害は年々悪化している。普天間飛行場では夜間飛行訓練の運用制限も合意されたが、2012年10月にオスプレイが配備されて以降、午後10時以降の飛行が常態化している。
このように日米政府の沖縄への対応は、米軍優先であり、アメリカが認める範囲での負担軽減措置でしかなかった。
辺野古新基地建設に反対する沖縄県民
普天間飛行場全面返還の条件とされた代替施設建設をめぐってこの19年間、沖縄は揺れ続けてきた。
1996年に辺野古移設は日米合意され、沖縄県知事も名護市長も同意したとして、政府は辺野古への新基地建設作業を強行している。しかし、辺野古で建設される新基地は1996年に合意された普天間基地のヘリ部隊を移すための撤去可能なヘリポートとは似ても似つかぬ巨大なV字型の二つの滑走路がある最前線発進基地である。

辺野古基地の飛行場部分の配備図 これで「普天間の移設」は詭弁だ!
2010年11月の知事選挙で普天間飛行場の「県外移設」を公約して再選された仲井真知事(当時)が2013年末に振興策と引き換えに県民の反対を無視して辺野古埋め立て申請を承認した。
翌月、2014年1月19日の名護市長選挙では辺野古移設に反対する稲嶺進氏が4000票差の大差で再選され、同年11月の知事選では辺野古新基地建設に反対する翁長雄志候補が10万票差で圧勝し、続く衆院選挙でも沖縄一区から四区まで全小選挙区で辺野古新基地建設に反対する候補が勝利した。
しかし、それでもまだ政府は辺野古新基地建設を強権をもって進めようとしている。
沖縄の「自己決定権」をめぐる議論

国連人種差別撤廃委員会ロゴカード
日本政府が沖縄の声を無視し続けるなか、沖縄では「自己決定権」をめぐる議論が深められている。
「自己決定権」をめぐる議論は、これまでの日本政府や米国政府に働きかけて基地問題を解決していこうとする動きから180度転換して沖縄県民が自ら沖縄のあり方を決定して行くことを強く打ち出すものである。
最初の動きは、国連が先住民族の自決権を加盟国に求めていることを梃にして沖縄における日本政府の対応を先住民への差別として是正させようとするものであり、国連の先住民族の権利を沖縄に適用させて過重な基地負担の軽減と沖縄固有の文化や言語を守らせようと取り組むもの。

日本政府の沖縄差別是正を求める国連勧告
1999年に結成された「琉球弧の先住民族会」は、1965年第20回国連総会で採択された人種差別撤廃条約にもとづいて沖縄への基地集中を琉球民族への差別的取扱いと国連人種差別撤廃委員会へ告発するきわめて有効な取組みである。
日本政府の人種差別撤廃条約の批准は条約採択から30年後の1995年で146番目の締約国だ。遅れた理由は在日朝鮮人への差別的取扱いやアイヌと沖縄人などマイノリティーへの差別的対応を認めたくないためである。
国連人権委員会の特別報告者ドゥドゥ・ディエン氏の2006年1月24日のドゥドゥ・ディエンレポートは、「1972年以降、日本における米軍基地の大多数が、日本国土の0.6パーセントに過ぎない沖縄に集中し、環境ならびに沖縄の人びと固有の文化・慣習に影響を及ぼしている」と指摘した。
第二の動きは、国際人権規約などにもとづいて日本国内にあっても沖縄県民の(内的)自己決定権を実現しようとするもので、日米政府による辺野古新基地建設強行に対して、沖縄が沖縄県民の意思として辺野古基地建設を拒否する権利があるとする根拠を、国連憲章や世界人権宣言、国際人権規約(1966年採択、79年日本批准)に求めるものである。

島ぐるみ会議発足(2014年)
これは2013年6月に結成された『沖縄「建白書」を実現し未来を拓く島ぐるみ会議』の理論的支柱となっている。スコットランドで300年ぶりにスコットランド議会が設置された1999年をはさんで首都のエディンバラ大学で自治権を研究した島袋純琉球大学教授が提唱した。
国際人権規約は、第一条一項で「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する。」と規定している。
自己決定権は国家に与えてもらう権利ではなく、歴史的・政治的・文化的に独自性をもつ人民には国際法によって当然与えられる権利とする国際立憲主義にもとづき、沖縄人には自己決定権があるとする。
すなわち、米軍基地を沖縄に押しつける政府に対して、沖縄県民は拒否することができる。昨年九月一八日のスコットランド独立住民投票の根拠にもなっている。
第三の動きは、日本から沖縄を独立させようとするものである。
「自己決定権」を確立するために沖縄の独立をめざす「琉球民族独立総合研究学会」が2013年5月15日に研究者を含めて設立されて「琉球独立」が真剣に研究されるようになった。
同学会設立趣意書は、「琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある」と掲げる。松島泰勝 龍谷大学教授や沖縄国際大学の研究者が共同代表を務める。
いずれの動きも、日本政府に働きかけるのではなく、沖縄県民の自己決定権によって決定していくということに新たな動きの特徴がある。
これら三つの動きは対立することなく、一緒に公開シンポジウムなどを開催して県民への啓蒙に取り組んでいる。沖縄の「自己決定権」実現に向けた力となるだろう。
新基地建設中止で「自己決定権」の金字塔を

今、名護市辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前には毎日100名を超える人々が新基地建設に反対する座り込みに参加し、辺野古の海では20人を超える市民がカヌーに乗って抗議行動を展開している。
そして、辺野古の新基地建設反対の取組みを支える「島ぐるみ会議」各市町村支部の結成も相次いでいる。
辺野古新基地建設を止めることを公約して誕生した翁長県政は、県民ぐるみの辺野古新基地反対運動に支えられながら、第三者委員会による前知事の辺野古埋め立て承認の検証を行ない、四つの瑕疵があるとする報告書を受け取った。
いよいよ沖縄県が日米政府の辺野古新基地建設をストップさせる「辺野古埋め立て承認の取り消し」を行なう時期が到来している。
400年前の島津氏の琉球侵攻以来、沖縄は「自己決定権」を奪われたまま歴史を紡いできた。
今日、日米政府が押しつける辺野古新基地建設を沖縄県民の意思として撥ね退けていくことは、沖縄の「自己決定権」確立の金字塔となるだろう。
了 (いは よういち)
編集部から―
沖縄意見広告運動の全国世話人である伊波さん提供による貴重な論文を全4回でお届けした。
軍事基地反対にかける沖縄県民の思いがどこから来たか?…その歴史的淵源を探る同氏論文は2014年に著されたものだが、今読み返してもいささかも古びていない。
地域のことは地域の民が決めるという「自己決定権」。その概念は、英国のEU離脱時でのスコットランド住民の自治意識の高まりによる独立論などでも新たな脚光をあびた。アメリカに隷従するだけの戦後保守~安倍自公政権の末期が近づく今こそ、その理念は高らかに語られねばならない。