|
増田 幸伸(近畿生コン関連協同組合連合会専務理事) |

| ロバート・オウエンがラナークに開いた共同コミュニティ |
●250年の歴史
協同組合運動の源流は、よく知られているようにイギリスにあります。イギリスには250年の協同組合運動の歴史があります。では、何故イギリスか?
イギリスは、世界で最初の産業革命とそれによる経済的社会的激動を経験したからです。すでに、1760年頃から食料価格の高騰に対する生活防衛的な製粉所や製パン所の協同組合が組織され、1770年頃から1820年頃にかけてイングランドやスコットランドでは、労働者によって生活必需品を共同購買する協同組合組織が自然発生的に作られていきました。しかし、初期協同組合は地方分散的であり、孤立した実験としてありました。
●ロバート・オウエン
こうした状況を克服したのがロバート・オウエンでした。オウエンは紡績工場を経営し、その工場で社会改良を実践していました。そこで、ラナーク州当局から「失業救済対策」を諮問され、利潤追求と富の個人的蓄積に代わる「共同の労働と消費と財産及び平等な権利」を原理とする協同コミュニティーの建設を訴えたのです(州当局は過激であると無視)。オウエンは1824年、米国インディアナ州で自らの協同思想に基づいた大規模な「ニューハーモニー・コミュニティー」を建設しますが、1829年に失敗・解散します。
一方、オウエン主義者たちは、協同コミュニティー建設に向けた様々な試みを実施します。1824年に協同コミュニティー建設を目的としたロンドン協同組合が組織されます。指導したのはオウエンとウィリアム・トンプソンですが、その機関誌『協同組合雑誌』で論陣を張ります。ここで、オウエンが自らを社会主義者と名乗り、イギリスにおける社会主義の語源を作ったのです。また、トンプソンも協同コミュニティーの建設による女性解放を主張した著名な女性解放論者です。
さて、ロンドン協同組合はコミュニティー建設の基金調達方法の一つとして、生活必需品の共同購入=協同組合店舗、消費者協同組合を事業経営し、その利潤を当てにしました。もう一つの方法が「協同交換組合」という労働者生産協同組合でしたが、これは早期に消滅しました。
●ウィリアム・キング
キングは「貧民の医者」でした。さらに、「貧民救済」と失業問題に対処するコミュニティーの再生を労働者教育と協同組合運動で果たそうとしました。1827年、ブライトンで協同コミュニティー建設の資金を生み出すための「協同取引組合」が作られましたが、キングはそれを近代的な消費者協同組合に育てたのです。組合員の出資金、仕入・価格・売上・在庫管理・利潤などの「正確な簿記・会計システム」の確立、「現金取引」(当時は掛売りが普通)の原則、医者の立場からも良質の食料品を供給する「品質本位」の原則をいち早く取り入れました。
また当時、産業革命の進展によって、印刷工や指物師など多くの熟練職人が失業・失職の危機に瀕していました。キングは、雇用を創出する労働者生産協同組合の設立を通してコミュニティーを再生しようと考えました。また、雇用の創出のためには労働者による「共同資本」の形成が必要であり、その資本は消費者協同組合の剰余の蓄積によって形成されると説きました。
オウエンは、協同コミュニティー建設に比重を置きます。キングは、協同組合によって組合員の「雇用と生存の保障」という生活の基本が確立されるのであれば、協同組合はコミュニティーを再生する機能と役割を果たし、協同組合はコミュニティーになると主張しました。
1831年から35年、近代協同組合運動の黎明といわれる協同組合代表者会議が開催され、消費者協同組合の重要性が認識されていきました。
各地の協同組合運動は、@協同コミュニティーの建設、A労働者生産協同組合の経営、B消費者協同組合の経営、という様にコミュニティー建設の目標を掲げて各協同組合を経営したり、各協同組合のみを経営しました。
近代協同組合の誕生とされる1844年「ロッジデール公正先駆者組合」につながっていきます。 
| 秋田県の美容所密度10万人あたり280店舗(2007年) |
年末になると、沢山の手帳が発行される。手帳は大小さまざまで、目的ごとに工夫した造りをしている。わたしも毎年4〜5冊ほどいただくが、使うのは1冊だけである。使わずに残ったのを誰かにあげようとしても、貰ってくれる人はほとんどいない。その人によって手帳を使う目的が違うのだから、余っているからあげようというのがムリというものだ。仕方なく使わない手帳は捨てているが、その度にもったいないと思う。
ことしもわたしの手元に、あきた県民手帳が届いた。秋田県調査統計課がまとめた資料を、圏内の印刷会社が発行している。手帳としては使わないが、いろいろな資料が収録されているので、机の上に置くと便利である。
一例をあげると、「全国からみた秋田県の地位」というのがある。その中から上位をあげると、次のようになる(上位3点は人口10万人あたり)。
全国順位 項 目
1 理容・美容所数
1 ガン死亡率
2 脳血管死亡率
2 持ち家率
2 刑法犯検挙率
3 人口死亡率
3 米収穫量
この手帳には載せてないが、「自殺者」「1人あたりの酒の消費量」なども1位である。どうして載せないのだろうか。
この結果を見せながら「どう思う?」と何人かに聞いたが、「ヘエ、意外だな」と驚く人と、「県民性がよく出ているよ」と、平気に受けとめる人とがいる。
全国を歩いていると、確かに秋田県内には理容・美容所が多いなと感じさせられる。だが、県内で暮らして県民をみていると、他県人にくらべてそれほど身ぎれいにしているようには思われない。自分の手で整える人が少なく、美容所に行く人が多いのではないかという気がする。
ただ、秋田県人は流行を追いかけているという話はよく聞く。服装なども東京と札幌は同じに流行し、少し遅れて仙台と秋田が続くといわれる。だが、秋田県の所得は大都市にくらべると大幅に少ないのに、流行を追いかけるので費用は嵩む。その結果はあとで紹介する預貯金残高にあらわれているのではないだろうか。
ガン死亡率も全国1だが、この原因は素人のわたしにはよくわからない。ただ、市町村で実施するガン検診の受診率が低い。最も高い肺ガンで31・7%、最も低い胃ガンでは18・8%で、秋田県が目標にする50%には遠くおよばないのはどうしてなのだろうか。もう一つおもしろいのは、秋田県北の鹿角市や小坂町は旧南部藩だが、旧秋田藩だった所に比べてガン死亡率が大幅に低いのだ。食生活などの他に、歴史的な文化的な要因もガンとかかわっているのだろうか、と思ったりしている。
なお、刑法犯罪検挙率が高いのは、秋田県は刑法犯が少ないことが一つ。また、権力に弱い県民なので、警察の調査に進んで協力する面があるのも、検挙率を高めているのではないだろうか。
次に全国から見た場合に、下位にはどんなのがあるだろうか。
全国順位 項 目
47 年間日照時間
47 人口出生率
45 交通事故死傷者数
44 預貯金残高(人口1人あたりで秋田県486万円。全国790万円)
44 郵便貯金残高(人口1人あたりで秋田県132万円。全国178万円)
年間の日照時間が全国1少ない秋田では、一年のうちの5カ月間は、雪の中にすっぽりと埋まった生活を強いられる。秋田では雪が上から降るのではなく、足元から降ってくるといわれるほど風が強い。背筋をのばし、顔を真正面に向けて歩くと息がつけない。そのためいつも背中を丸め、前かがみの姿勢で生きなければいけない。しかも、これといった大きな産業はなく、米、天然秋田杉、地下資源といった第一次産業が県民の生活を支えてきた。だが、その資源が底をつくと、みじめな生活に転落していく。しかし、資源が豊かだった時に身についた見栄っ張りは、なかなか抜けていかないのがいまの秋田県民だ。
「全国からみた秋田県の地位」を見ていると、長所も短所も含めて秋田の県民性がよく見えてくる。しかも、その県民性をつくった歴史や産業、風土や自然などを理解できると、県民性の深さもよくわかる。それらは本人が知らないうちに身についている場合が多い。そのことを知っていながら交流すると実りが多いだろうと、ことしの手帳を見て思った。
|