書評】本山美彦著「人口知能と21世紀の資本主義」/半田正樹(東北学院大学教員)

【Book Review/半田正樹(東北学院大学教員)】
【本山美彦『人工知能と21世紀の資本主義―サイバー空間と新自由主義』明石書店、2015年】


本山美彦『人工知能と21世紀の資本主義―サイバー空間と新自由主義』明石書店、二〇一五年 著者は、本書の末尾に「二一世紀の資本主義はここまで来ている」と記して筆を擱く。
 ここでは、二一世紀の「資本主義」が到達した「ここまで」の内実に焦点を定め、書評子なりにつかんだことを整理しながら、その歴史的意味を探ってみようと思う。

 末尾の直前には、「ここまで」を表象するIT関連業界の現象が取り上げられている。ベンチャーキャピタルが小規模企業(スタートアップ企業)の創業を仕掛けつつ、これをもっぱら高値で転売する「今日の企業の姿」が、それである。いまや「資本主義的」企業は事業そのものではなく、いわば一過性の企業価値にその存在意義がもとめられる現実が鮮明に描出されている。しかり、本書は〈情報化〉と〈経済の金融化〉という現在の「資本主義」の特質を鮮やかに浮き彫りにすることに成功している、このことをまず指摘しておこう。

 本書は、全三部からなる。
 AI・ロボットが、急速に人間労働を破壊する現実を活写しつつ、そもそも労働とは何かを剔抉する第Ⅰ部。テクノロジー至上主義を基礎に、サイバー空間を新自由主義的イデオロギーに染め上げようと血道をあげるサイバー・リバタリアンを論駁する第Ⅱ部。サイバー空間という新たな主戦場の我がもの化をはかる正体を暴く第Ⅲ部、という組立てである。

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ロボット わたしたちは、ウェブで、あるいはテレビや新聞・雑誌でも「将来日本の労働人口の半分が人工知能やAIに置き換わる」とか「AIが既存産業に及ぼす影響」といった言辞に日々さらされるようになった。むろん、人間を機械に代替するという事案は、19世紀初めのラッダイト運動を惹き起した産業革命以来の古くて新しい問題ではある。

 しかるに著者は、かつての産業革命が、人間労働を機械に置き換える一方で、多くの雇用を生みだした史実を指摘しつつ、IT革命は決して労働需要につながらない事実を抉り出す。ヨリ正確に言えば、IT革命も雇用を創出するものの、あくまで一握りの、しかもハイエンドな性格をもつ仕事に限定されると見抜く。
 この点にIT革命の本質、いいかえれば「資本」が牽引主体となったテクノロジーの発達の、人間社会にとっての危うさが潜んでいるのは確かであろう。ここに、わたしたちは著者とともに、あらためて人間にとって労働が持つ意味をかみしめる必然性を見出す。

 著者は、「労働は喜び」にほかならないとし、旧約聖書以来のキリスト者的な「労働は苦役」とは正反対の解釈にたつ。すなわち、機械が、そしてAI・ロボットが、苦役としての労働の縮減機能をもつとする視点に対して、むしろ労働の喜びや尊厳を奪うものと主張する。その際に著者の念頭にあるのは、安藤昌益であり、プルードンの思想である。著者の真骨頂というべきところであろう。

*       *       *ランド・世界を支配した研究所

 わたしたちは、十年近く前にアレックス・アベラが著した『ランド:世界を支配した研究所』に驚愕した。旧ソ連共産党の機関紙プラウダが「科学と死のアカデミー」と呼んだ、戦争の効率的遂行のための理論を編み出したあのシンクタンクの話に、である。本書の著者の言い方を借りれば「数量史的近代化論」を牽引した機関であった。ゲーム理論、システム分析、終末兵器など数多の「理論」を考案した。これに対し、著者は、サイバー空間の広がりを背景に、サイバー・リバタリアンのグループが自らのイデオロギーを実現すべく創設した「進歩・自由の基金」なるシンクタンクに注目する。技術革新の持つ意味を小さな政府、自由市場、個人の尊厳に基礎をおく信条に彩られた機関の現在的意味を批判的にとらえ返している。

 その上で、著者は技術革新の到達点を象徴するものとして「新自由主義的なビッグデータ論」をおく。現在のAI技術は、統計・確率的な手法に基づいており、日々発生するデータが多ければ多いほど、その技術は進歩する。ビッグデータの解析にはAI技術が必須であり、かつビッグデータを消化・吸収することでAI技術はヨリ高度化する。むろんビッグデータを集めれば集めるほど企業の競争優位性は高まる。AI技術が、専ら市場原理・競争原理を加速、増幅するものとして社会に浸透しているというわけである。著者は、こうして〈情報化〉と新自由主義・市場原理主義との親和性を過不足なく看破する。

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資本家のモラルは崩壊した 市場原理主義の浸透は、いまでは科学的知の発見が即時的に知的財産として法的に囲い込まれるまでに至った。科学の新たな発見は、共有知とはならず、私的知として価格が付され、莫大な利益をもたらす商品と化した。神経細胞(ニューロン)の多層構造としての人間の脳を、コンピュータで再現する試みである深層学習(ディープラーニング)にしても、加速度的に高速化するコンピュータにヨリ多くのデータを学習させること、すなわちビッグデータと結びつくことによって現実性を獲得した。その背景にはビジネスの要請があったのはいうまでもない。このことを、ビッグデータはビジネスと科学を結びつけた営利活動用に喧伝されたタームだと、著者は喝破する。

 そして、サイバー空間が徹底してビジネス空間として編み上げられている極点に、プロの投資企業が、“瞬き”よりも短い時間に大量の取引をAIに頼りつつ行っている証券市場における超高速取引およびアルゴリズム取引を置く。自己増殖する価値の運動体としての「資本」が21世紀に辿り着いたゴールというべき地点であるが、もちろんそれは価値増殖という資本主義の精神が、現実資本の運動においてではなくいわゆる擬制資本において専ら現われていることを浮き彫りにする。これは、例えばテクノ・ユートピアンの、サイバー空間は人類が永らく苦しんできた稀少性を解消し、すべてを豊富に入手できる社会を実現したとする主張へのきわめて適切な反批判でもある。
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 周知のように、稀少財の最適配分の研究というのが新古典派を筆頭とする主流派経済学の立脚点であるのに対して、社会的再生産の機序を考究する立場に立つのがマルクス経済学である。著者は、AIが技術的基盤となって展開されている経済の金融化の実相を描くことにより、もはや人間社会の再生産が担保されなくなった現実を闡明(せんめい)したのである。とすれば、21世紀の「資本主義」が辿り着いたのは、実は人間社会の再生産がままならなくなった「資本主義」、異形の経済社会であるといってよいだろう。いいかえれば著者が「ここまで」とした事態は、もはや「資本主義」とは言い難い状況であると見ることができる。

 しかしながら、わたしたちは、こうした一種ディスピアな状況のなかでなお、例えばビットコインの可能性を論じる著者の感性に大いに注目したいと思う。ビットコインは、さまざまなスキャンダルに巻き込まれているものの、その根源性は、暗号技術を軍や諜報機関から奪還するその反権力性と設計思想にあり、プルードンの創案した人民銀行にも通底するととらえる著者の直観は的を射ているとみなし得るからである。


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