経産省前テントひろば設立5周年 怒りのフェスティバル

経産省前テントひろば設立5周年

「テントここにあり!」と力強く宣言する淵上太郎さん(右)と司会の乱鬼龍さん

「テントここにあり!」と力強く宣言する
淵上太郎さん(右)と司会の乱鬼龍さん

テントここに在り!

経産省前・怒りのフェスティバル


 2011年、福島原子力発電所が爆発した半年後、東京霞ヶ関の経産省前に原発反対のテントが設置された。今年9月11日はその5周年となるはずだったが、直前の8月21日、テントは設立1807日目にして東京地裁に強制撤去された。
 この時、テントひろば代表者の淵上太郎さんは怒りを込めて「テントは撤去されても我々の脱原発の意志をくじくことはできない」と宣言した(本紙前号に既報)。果たしてそのことばは事実となった。9月11日には大勢の市民がテント跡地に駆けつけ、「怒りのフェスティバル」を決行したのだ。

■にぎやかにデモ行進、かんしょ踊り、サムルノリ

にぎやかに「かんしょ踊り」を踊る人々

にぎやかに「かんしょ踊り」を踊る人々

 会場には開会予定の3時よりも早くから大勢の市民がテント跡地周辺に集まっていた。お茶などの差し入れが誰にでもふるまわれ、テント跡地周辺は解放区のように和気あいあいとしていた。

 「原発いらない女たち」武藤類子さんの紹介で、福島県に伝わる民謡「会津磐梯山」のルーツとなる「かんしょ踊り」が披露された。ジョニーHさん浦邉力さん橋本美香さん(制服向上員会)らの演奏。また経産省周辺を、ウシのオブジェを御輿のように担ぎ上げてのデモ行進や韓国に古くから伝わる打楽器演奏「サムルノリ」なども参加者の覇気を高めていた。

■ひとりひとりがひとつの灯火で自分の周囲を照らす

テントはなくても ひろば は今も健在だ

テントはなくても ひろば は今も健在だ

 「テントここに在り」と大書した宣伝カーの壇上から、川柳作家の乱鬼龍さんの司会で発言が始まった。長くテントひろばに常駐し、今は四国愛媛県の伊方原発再稼動阻止のために闘っている八木健彦さんがはるばる駆けつけ壇上に立った。「原発の恐怖は終わらない。諦めるということは故郷を諦めることに他ならない。ふるさとを、命を諦めないために闘いはつづく」と訴えた。

 次に経産省前テントひろば代表の淵上太郎さんが壇上から決然と叫んだ。「我々の意志は非常に固い。テントがひとつやふたつなくなっても決してへこたれない。テントここに在り!」
 さらに福島住民の武藤類子さん、黒田節子さんからそれぞれテントに対する5年にわたる熱い思いが語られた。
福島で殺処分された牛たちを象徴するオブジェが練り歩く

福島で殺処分された牛たちを象徴するオブジェが練り歩く


 九州から駆けつけた「ストップ原発3・11鹿児島実行委員会」の 川端清明さんは、原発再開を強行する安倍政権の中で九州鹿児島に脱原発をめざす県知事が誕生したと報告した。
 川端さんは最後に「一灯照隅」ということばを紹介し、「3800万円の賠償金は3800人ならひとり1万円、38万人ならひとり100円ずつ出せば終わる。ひとりひとりがひとつの灯火で自分の周りを照らせば、それはやがて大きく拡がってゆくだろう」と結んだ。

■私は東電にふるさとを奪われた!絶対に忘れない!

斉藤美智子さんの訴え

斉藤美智子さんの訴え

 沖縄からも平和運動センター事務局長の大城悟さんが駆けつけ、「沖縄でも同様のことが起こっています。決して負けるわけにはいきません。思いをひとつにがんばりましょう」と呼びかけた。

 テントひろばのもうひとりの代表の正清太一さんのあいさつのあと、福島の双葉町から東京に避難している亀谷幸子さんは、何もかも失ってしまった悲しみを切々と語り、「私はふるさとを東電に奪われたんです!絶対に忘れない!」と訴えた。

 原発阻止運動に長年たずさわってきたたんぽぽ舎柳田真さん、40年間も反原発運動を続けてきた斉藤美智子さん、映画監督の早川由美子さんらが次々と発言し、この日のメインイベントであるヒューマンチェーンに移った。多くの人々が経産省周辺一帯を包囲し、「再稼働反対!」「原発止めろ!」のコールが夜遅くまで続いた。

<ハイライト版動画:撮影IWJ

※15時より行われた歌・音楽演奏、かんしょ踊りはこの録画には含まれません
※このアーカイブの完全版は、IWJ会員のみ閲覧・視聴ができます。

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