スコットランド住民投票の結果 パンドラの箱は開かれた!

スコットランド住民投票

スコットランド独立派のデモ
スコットランド・バクパイパー

パンドラの箱は開かれた!

住民の自己決定による
自治・自決の流れは止められない


 9月18日、スコットランドでは独立をめぐる住民投票が行われ、55%対45%で独立反対派が勝利し(独立反対票が200万1926票、独立賛成票が161万7989票)、引き続き英国に留まることが決まった。この問題がスコットランド人にとって重大な関心事であった事が85%の高投票率に示された。英政府はスコットランドを英国につなぎ止めるため、一度は拒否していたスコットランド自治政府の行政権限拡大を約束した。今後の焦点はこの約束がどんな形で実現されるのかに移ったが、独立にこそ至らなかったものの、住民の自己決定による自治・自決の流れはもう止められない。調査のため現地を訪れた島袋純琉球大学教授の指摘のように、「パンドラの箱は開かれた」のである。(9月30日記 コモンズ編集部

■スコットランドのイングランドへの併合の歴史

スコットランド地図 スコットランドは英国北部に位置し、人口約525万人で英国全人口の8%、面積はその3分の1を占める。スコットランドは、1707年に併合されるまでイングランドの侵略に抵抗を続けながら独立王国を維持してきた。イングランドに併合されスコットランド議会も解散となった後も独立闘争は止まず、そのため彼らの言語であるゲール語、タータンやキルト、バグパイプ、スコティッシュダンスなどのケルト文化が一時禁止されたこともある。第二次世界大戦後、経済発展から取り残されたスコットランドでは、北海油田の開発が始まると共にますます拡がるイングランドとの格差の拡大に不満が拡がり、独自の議会設置を求める運動が高まった。そしてスコットランド出身の労働党トニー・ブレア首相のもとで1997年におこなわれた2度目の住民投票で、圧倒的大差をもって290年ぶりにスコットランド議会が復活。スコットランド自治政府が誕生した。

■それは小さな市民運動から始まった

アレックス・サモンド初代スコットランド首相

アレックス・サモンド初代スコットランド首相

 スコットランドで分権の是非を問う初めての住民投票が行われたのは、1979年である。それは「総有権者40%以上の賛成」という条件をクリアできず挫折した。この挫折の中からまず分権による議会をもって独立へとする女性・市民による議会設置の小さな運動が始まり、粘り強い活動の中で大きなうねりとなって国民党など政党や労働団体を巻き込み、上記のように1997年の住民投票で分権の承認、1999年にスコットランド議会と政府が実現した。この運動の大きな流れがなければ、今日の住民投票は実現しなかった。また今回の政治的推進力となったスコットランド国民党が戦後の地方の小政党からスコットランド独立を旗印に掲げスコットランド議会の開設と共に議席を伸ばし、2011年には過半数を超える69議席を単独で獲得しアレックス・サモンド党首がスコットランド自治政府初代首相の座についたのも、こうした粘り強い運動の高まりによるものである。同党は現在党員・党友2万人以上、各市町村議会の議席数360以上、核兵器廃絶を掲げる政党だ。

■北海油田の権益、核兵器廃絶が争点に

スコットランド スコットランド人は独立の是非を、経済と軍事の面から議論してきた。経済面では、独立の財源として、イングランドに独占されているスコットランド沖の北海油田の獲得を当然の権利として主張する一方で、これまで通りポンドを通貨として使えるのか、それともEUに加盟してユーロを使えるのかの議論。また軍事面では、「核兵器の撤去」が主張された。英国の核兵器はスコットランドのグラスゴー郊外ファスレーン基地に停泊する原子力潜水艦が搭載するトライデントだけであり、独立すればこの核兵器はただちに英国に返還される。ところが英国には保管する場所がない。英国は原潜と派兵によって同盟を組む米国の世界的軍事戦略とその覇権を支えており、スコットランドの独立は米国の軍事的世界覇権の弱体化と重大な変更を迫ることを意味した。
労働党ミリバンド党首

労働党ミリバンド党首


 投票実施が決まって以来、世論調査結果は常に独立反対派が上回っていたが、投票まであと11日と迫った9月7日の英紙サンデー・タイムスはついに51%対49%と、賛成派が逆転したことを報じた。イギリス政府がこの報道にパニック状態となり、キャメロン英首相、自由民主党クレッグ副党首、労働党ミリバンド党首が急遽現地入りし、スコットランドが連合王国に残るなら、自治政府に対して税制や福祉などの行政権限委譲を進めると約束した。17日にオバマ米大統領が異例の独立反対を表明したのもこうした事情による。

■自己決定権の宣言、世界史を画する意義

スコットランド 世界はスコットランドの住民投票の結果をかたずをのんで見守っていた。リーマンショック以来の金融危機の進行のなかで、衰退する超大国・米国を基軸とする世界秩序がほころび始め、先進資本主義諸国は経済的・社会的・政治的危機から近代国民国家の破綻、代議制民主主義による統治の危機にあえぎ、世界は新たな秩序・新たなシステムを巡る大変動期にある。この中で、ロシアによるクリミア併合や中東における国境線の変更の動きとともに、スコットランドの独立は、先に見たように米国を中心とする軍事的な世界覇権システムに対する重大な変更を迫るものだったからである。しかもそれが世界に冠たる大英帝国であった英国において、近代国民国家分裂と解体の危機として現れ、この大変動期の世界の現状を象徴したからである。
スコットランド
 同時に、注目すべきは、近代国民国家の歴史的限界に代わる新たなシステムの問題がスコットランドの住民投票で示されたことである。1989年、スコットランド人民は誰もが自らの意思により自由に政府を創る権力を持つという自己決定権の宣言を発布している。今回の住民投票は、この宣言の延長にあり、人々の対立やイングランドからの右翼の介入もありながらも、国民国家の内部の一部地域の独立について中央政府が住民投票を認め、その実施に当たって双方ともに軍事力を使わずに全住民の投票という直接民主主義によって決めることを実現したこと。ここに新たな民主主義による住民自治のシステムへの希望が示されているからである。
 こうした点において、住民投票によるスコットランドの独立への挑戦は、世界史的にみて重要な意義のある画期をなす出来事である。

■主権は民にある!沖縄に自己決定権を

カタルーニャ独立派デモ

カタルーニャ独立派デモ

 スコットランドの住民投票は分離独立をめざす他の国にも大きな刺激を与えている。スペインのカタルーニャ分離独立運動が11日に州都バルセロナで100万人規模のデモを行い、11月9日には住民投票をめざしているが、スペイン政府は憲法違反として認めない構えだ。またカナダのケベック州はこれまで2度住民投票を実施し、いずれも独立には至らなかったが、中央政府からの大幅な譲歩で自治権を勝ち取ることができた。

 日本では、日本政府による「構造的差別」の下で植民地同然の扱いと米軍基地の強要に苦しみ、抵抗し、自己決定権を求める沖縄から主権回復の問題に直結するものと大きな関心が寄せられている。冒頭にも紹介したが、スコットランドを訪れていた島袋純琉球大学教授は、スコットランドと沖縄を対比して、この問題について、次のように述べている。
「琉球王国が1879年日本に併合された琉球処分と対比し、一度併合された地域が主権を回復する権利があると自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例だ。独自の文化、言語、歴史を持つ地域の人々が自らの国では民主的要求を充足していないという場合に、自らの民主的な政府をつくる手続きのモデルになる」(琉球新報)と。
カタルーニャ独立派デモの先頭に翻るスコットランドの旗

カタルーニャ独立派の先頭に翻るスコットランドの旗


 また沖縄の新聞はスコットランドに特派員を派遣し詳細なレポートを報道している。9月20日付沖縄タイムス紙は「スコットランド住民投票:『沖縄と似ている』」と伝え、9月19日付琉球新報でも「本紙記者報告」として、「専門家はスコットランド独立となれば『在沖米軍基地の在り方にも影響する可能性がある』と指摘している」と伝えている。

 わたしたちは、「主権は民にある」との民主主義原則とともに、沖縄の自己決定権を支持する。もちろん沖縄がその自己決定権を行使して、自決と国家的分離・独立の道を選択するかどうかは沖縄自身が決めることである。こうした基本的態度を踏まえて、当面は、沖縄とともに「沖縄に基地はいらない」との「島ぐるみ」の民意を無視し、踏みにじって警察や海上保安庁を動員して強制的に辺野古新基地建設を進める安倍政権と闘い、基地問題の根底にある日米安保条約を破棄していく闘いに全力を挙げていくことが重要である。この闘いの過程で、スコットランドの開いた未来への希望は、沖縄の自己決定権行使の具体的構想とその展望に活かされていくにちがいない。

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(「琉球新報」から)
スコットランド独立住民投票 沖縄主権回復の事例に(2014年9月20日)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231847-storytopic-1.html

 (前略)スコットランドの独立の是非を問う住民投票は現地時間の19日(日本時間19日)、開票の結果、接戦の末、反対派が多数を占め、独立は「ノー」との判断が下された。住民投票にまで至る過程は沖縄にとっても学ぶ要素が多い。現地を訪れている沖縄関係の識者や、英国在住の県系人は、沖縄の状況と重ね「大きな示唆を与える」などと話した。今後もスコットランドの独立への動きは「止まらない」との見方だ。

 「一度統合された地域が主権を回復する権利があると自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例だ」。調査のため現地を訪れている島袋純琉球大学教授(政治学)は、琉球王国が1879年に日本に併合された「琉球処分」と対比した。「独自の文化、言語、歴史を持つ地域の人々が、自分らの国では民主的要求を充足できないという場合に、自分らの民主的な政府をつくる手続きのモデルになる」と指摘、「沖縄にとって大きな示唆を与える」と話した。

 一方で「接戦だったということは、独立の可能性をまだ秘めている。これは草の根の要求であり、パンドラの箱は開かれた。この要求は止められない。今後、確実に独立に向かうだろう」と予測した。

 琉球大学で長年教壇に立ち、現在はスコットランドのエディンバラ大学に客員教授として赴任している江上能義早稲田大学教授(政治学)は「政体を守ることができた連合王国派は安どしているが、これで英国における長年の政治課題が決着したとは到底、思えない。現地で観察・取材してきたが、独立運動はもう止めることはできず、近い将来、再挑戦が始まるだろう」と話した。

 「独立は難しいんだと念を押されたようで落胆した」と語るのは、英国イーストアングリア地方在住の我部貴子さん(37)=主婦=だ。「スコットランドと沖縄の置かれている状況がよく似ているので『もし沖縄が独立した時は…』と重ね合わせて見ていた。国民投票で二分されたスコットランドが一日も早く一つになってほしい」と願いを込めた。(後略)

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